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2017年11月25日 (土)

「甲州魚風土記」 寺田重雄 芸文社 昭和55年 その2

肩通し P.5~
 早川発電所建設飯場のための鯉の輸送の話
 半台の規格

 ・・・甲府から、じかに担いで行った。仲間うちでは、それを、「肩
 通し」と呼んでいた。・・・

 甲府、鰍沢間のバス会社、鉄道馬車会社の変遷の話

 ---メモ---
  荊=いばら、ケイ、キョウ。荊沢=いばらさわ(地名)
  榑=くれ、フ、ブ。榑坪=くれつぼ(地名)

佐久のコイ P.24~
 佐久へ鯉が来歴した話
 甲府とのルートの話

 ---メモ---
  御師=おし/おんし。特定の寺社に所属して、その社寺へ参詣
      者を案内し、参拝・宿泊などの世話をする者のことである。
                                   wikiより
  嗜む=たしなむ
  詠草=えいそう。詠んだ歌や俳諧を紙に書いたもの。

  太物商=正絹を扱うお店を「呉服屋」といったのに対し、普段の
        木綿や麻を扱うお店を「太物屋」といった
  罷る=ヒ、ビ、やめる、まかる。罷り通る。

  戎衣=じゅうい。戦争に行くときの衣服。軍服。
  兵戈=へいか。槍や刀と戈(ほこ)。転じて、武器。戦争。いくさ。

  笈=キュウ、ゴウ、おい。修験者(しゅげんじゃ)や行脚僧(あん
     ぎゃそう)などが仏具・衣類・食器などを入れて背負う、あし
     つきの箱。

  笈摺=おいずり。昔は巡拝中に必要な物を背負って歩いたが、
      着物の背が摺り破れないよう、着物の上へ笈摺を着けた。
      現在は笈摺はご宝(朱)印をいただき、死後の旅路に着け
      るものとされている

  余燼=よじん。事件などの一段落したあとに、なお残っている
       もの。また、その影響。

竜門の鯉 P.43~
 中国の後漢書からの話
 我が国での経緯などの話
 コイの滝登り、俎のコイ、鯉のぼりの話
 山梨県での養鯉の歴史、臼田二郎、石原国吉、並木清次郎の話
 釣り堀、箱釣りの話、志村勇次郎

 ---メモ---
  婪=ラン、むさぼる。
  貪婪=どんらん。たいそう欲の深いこと。ひどくむさぼること。
  甍=ボウ、ミョウ、いらか。
  搦む=からむ。絡む。
  榾=ほだ、ほだ。 囲炉裏や竈(かまど)でたく薪(たきぎ)。
  榾火=ほたび、ほだび。焚(た)き火
  媾う=まぐわう。
  媾合=こうごう。性交。
  閨=ケイ、ねや。夜、寝るための部屋。寝間。寝室。特に、夫婦
     の寝室。家の奥の方にある部屋。女性の居室。
     閨房=けいぼう

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西暦1980年=昭和55年

「甲州の魚」 山梨県水産研究会 昭和30年

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