「廣海放談」 廣海貫一 デパート通信社 昭和36年 その2
表紙 著者が緑色好きらしく、緑地のビニルにエンゼルフィッシュ
口絵
本人のカラー写真
皇太子との白黒写真
序
・・・風かわりな、そして、独自独歩の筆舌を持っている人。君が
主催するデパート通信社の・・・
・・・先年、彼は、全国区から参議院議員候補として堂々の陣を
張って・・・大失敗に終わったのは・・・
・・・彼には又、・・・「緑鱗窓」の名で聞こえた熱帯魚の育成が
ある。・・・
・・・彼は、とる歳かんれきにして、「天皇さんと同年だ」・・・
・・・久しく独身主義であった彼が、ある淑女の愛を得て、近く
晴れて結婚式を挙げる準備中であるという・・・
横浜高島屋専務取締役
日本産業工芸株式会社々長
・・・お若かった頃は「アナキスト」廣海として情熱を大いに・・・
昭和三十六年九月 西武百貨店取締役 店長 堤清二
・・・「デパート通信」は・・・政府の悪口とか進駐軍の悪口ばかり
を平気で書いていた・・・
・・・話が「生き物」に移ると、彼は全然人が変わったように、目
を輝かして語り出す。・・・
大丸常務取締役 大阪店長
熱帯魚と私 昭和36年8月15日起稿 P.14~
私が”熱帯魚”を飼い始めたのは昭和八年頃からであるが・・・
”生き物”を好むようになったのは、明治三十五-六年頃から
さであった。私の三-四才頃からである。
幼少の頃、放浪の話
・・・大正十三年に”熱帯魚”の鼻祖であり”爬虫類研究”の大家
である”廣瀬巨海氏”を小石川の温室に御訪ねして知遇を得た。
・・・(廣瀬氏とは昭和二十八年春永眠されるまで・・)
・・・昭和七年春”デパート通信”を創刊して、・・・”熱帯魚”を少
し飼いだした。・・・
戦争時、文部省の買い上げによる保存、銀座水族館、緑鱗窓
熱帯魚展などの話
天軌無道 P.24~ 昭和三十四年一月三十一日号
飛行機への愛着の話
水を呑もう P.26~ 昭和三十六年七月二十二日号-九月九日号
胃潰瘍、水と痛み、生卵療法、水を呑む効果、歯、足の裏など
の話
シャッター様 P.58~ 昭和三十六年七月五日号
大丸本店の火事の話
---メモ---
昭和36年=1961年
関連書
« 「廣海放談」 廣海貫一 デパート通信社 昭和36年 | トップページ | 「廣海放談」 廣海貫一 デパート通信社 昭和36年 その3 »
« 「廣海放談」 廣海貫一 デパート通信社 昭和36年 | トップページ | 「廣海放談」 廣海貫一 デパート通信社 昭和36年 その3 »
コメント