「永遠の花」 大賀一郎伝記物語 市原三郎 花園詩人社 昭和41年 その2
口絵
大賀博士の記念碑の白黒写真
巻頭歌揮毫
元東大総長 南原繁
「永遠の花」によせて」 篠遠 喜人
大賀先生は、名古屋市に新しくできた第八高等学校の生物学の
先生を・・・。「人生は短く、学問は長く、宗教は強い」この信条に生
きられたひとりの人の生涯の叙事詩は、永遠の花として・・・
序 高野 忠興 元東大検見川農場主任
市原さんは、大賀博士の晩年、博士に親炙された人でありまして
・・・三年がかりでこの誌をかき上げられ・・・わたしどもの知らなかっ
たような事実が多くのせられて・・・博士についての唯一の正統な
伝記となるでしょう。
・・・金銭にこだわらぬかわりに名誉にこだわったことは・・・
---メモ---
親炙=しんしゃ。親しく接してその感化を受けること。
歿=ボツ、モチ、しぬ。歿後=没後
佩=ハイ、バイ、おびる、はく。佩用=はいよう。からだにつけて
用いること。
尚ぶ=とうとぶ
序文 藤川 覚 日本哲学会会員
・・・七月十八日の開花記念日には・・・観蓮会が催され・・・市原
氏は・・・その会の常連となっておられました。
・・・市原氏に博士はさっそくつかまり、・・・一生にわたるハスの
研究歴その他につき、たっぷり三時間語りつづける羽目に陥られ
ました。・・・
・・・みずから序文を書くおつもりの「永遠の花」の完成をごらんに
ならず、偉大な人、大賀博士は長い眠りにつかれました。・・・
序文 高木 潤 岡山県吉備町町長
・・・先生は、よく心の服を着なさいよといった。心美しからざれ
ば服又美しからず。・・・
---メモ---
彰徳=ショウトク。人の善行を世間に広く知らせること。
多摩墓地にある博士の碑文を掲載
---
昭和41年=1966年
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