「永遠の花」 大賀一郎伝記物語 市原三郎 花園詩人社 昭和41年 その3
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一、ああ操山よ心あらば彼の為に限り無き福音を伝え給え
P.13~
生地、父母、誕生、小・中学校、内村鑑三著「後世への最大遺物」
との出会い、卒業の話
---メモ---
孜=シ。孜々=シシ。熱心に努め励むさま。
輾転反側=てんてんはんそく。なかなか寝付けずに、何度も寝
返りをうつこと。
本文は誤植で反を友としている
二、父なる神よその波路を救いの舟にて乗り越え行かん
P.23~
一高への進学、内村鑑三塾への入門の話
・・・偉大なる先生の門弟の中に・・・有島武郎、志賀直哉、
正宗白鳥・・・
三、斯く広大に建て給う神は御わざの尊しや P.34~
当時の女学生の気質、一高合格、建築家から神の作った自然
科学への転換などの話
・・・その頃の女子教育は下田歌子女史の「実践女学校」津田
梅子の「津田英学塾」や成瀬仁蔵の「日本女子大」・・・遂に小
杉天外の「魔風恋風」の小説を生み・・・
四、母逝けり P.45~
日露戦争前後の思想、東大へ、危篤から死への話
五、友よ彼の祝福のために番茶の一ぱいもすするとしよう P.55
生家の没落、父の事、八高への就職、
六、破れたれど、わが家は富めり P.64~
配偶者紹介、四人弟妹の話
七、わが手をとれよわが神よわが行く道を導けよ P.74~
八高基督敎青年会、生計逼迫、うどん先生、満州への話
---メモ---
凭=ヒョウ、ビョウ、よる、もたれる
掩=エン、おおう
八、大西洋の波濤よ歌え P.87~
うた子すみれ、普闌天(フランテン)のハス、渡米の話
---メモ---
菫=キン、ゴン、すみれ
九、墓前へ報告 P.99~
古ハスの開花、ミイラ小麦などの話
┼、われ神より福祉を受くるならば災禍をもまた
受けざるを得んや P.110~
日中関係、日本へ、当麻・曼荼羅の研究、戦火・府中への話
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昭和41年=1966年
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