「金魚之常識」 阿部舜吾 慶友社 昭和30年 その2
口絵
白黒写真6ページ
彩色イラスト綴じ込み1様
序に代えて
獅子文六
なぜ、阿部舜吾君のことを、私たちが”ヒョンさん”と呼んだのか、
正確にはわからない。・・・ヒョンは横濱の正金銀行本店に勤め
て・・・銀行をやめて目下、金魚のみに没頭している・・・・
(昭和二十四年初夏)
---メモ---
惟=イ、ユイ、おもう、これ
舊=キュウ、グ、ふるい、もと
忸=ジク、ニク、、はじる
怩=ジ、ニ
---ここから本文---
金魚の趣味と觀賞 P.17~ ※観賞
金魚の趣味
・・・動物の持つ自然の美しさ、愛らしさを感受し得るようになっ
て、初めて各々の趣味として、夫々に樂しむことになる・・・
・・・結局落着くところは各人の環境によって一番手頃なものを
撰ぶということになると思います。こんな意味から、娯樂としての
愛玩動物にも自から範圍が限られて來るのであって、此點金額
など昔から永らく多くの人達から可愛がられていることからしても
確かに愛玩動物として立派な資格を備えているものといえるでしょう。
・・・趣味としての金魚となると、やはり自身で小さいものを順に育
てて行く苦心、更には進んで卵から孵化させた水子を丹清して、見
事な成魚になったその姿を眺める時の樂しさなどで、結局金魚の
趣味はその觀賞と飼育、育成することの樂しみとは相半ばするか
或は愛するものの成長を見て樂しむ方が一段上かと思うもので
す。
「日本の金魚」の著者エム・スミス氏の金魚愛についての一文を
掲載
---メモ---
盡=ジン、シン、つくす、つきる
嘗=ショウ、ジョウ、なめる、かつて
金魚の觀賞
・・・金魚の觀賞に當っても全體の均整、動作の自然なることを
條件とします。・・・人工的な美しさばかりに目を奪われる事なく・・・
・・・金魚は自然の美しさの上に人工的な華やかさが加味され
ているので・・・
金魚の起源 P.27~
金魚渡來説・江戸時代の金魚 ※渡来
安達喜之著「金魚養玩草」、貝原篤信著「大和本草」を引用
江戸時代の金魚
「西鶴置土産」、「元禄實永珍話」の引用
東京附近の産地の変遷の話
---メモ---
諧う=かなう・ととのう、やわらぐ 、たわむれ
諧(言+虚に似た字)小説=かいぎゃく
洒落しゃれ・冗談などひねったところがあって、笑いや
おもしろみを感じさせる言葉。ユーモア
相手からの言及を前にズレてみせること
日本での金魚發祥説と群山の金魚 P.32~ ※発祥
郡山藩士 佐藤三左衛門からの話
雙尾連正から尾長、長崎、ランチュウ、オランダへを年代を入
れ解説
甲斐守 柳澤吉里からの話
愛知県弥富の産地としての経緯
金魚の先祖 P.35~
・・・鯉では・・・側線上の鱗數は三十六枚とほゞ一定しています。
鮒では凡そ二十六ですがその數に差異のあるものが出ます。・・・
このような鮒の特異性に加えて・・・今日の金魚となった・・・
・・・卵の發育中の或る時期に震盪すると・・・尾の二ツあるものが
出來るので・・・
---メモ---
盪=トウ、ドウ、あらう
震盪=しんとう。 振り動かすこと
金魚と鯉との相違
・・・雜種は出來ても、その雜種の雄は不胎となって・・・
鯉の歴史
---メモ---
臘=ロウ。西希臘=西ギリシャ
---メモ---
昭和30年=1955年
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