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2015年7月22日 (水)

「北国のティラピア・ニロチカ」 鹿糠九助 熊谷印刷出版部 昭和53年 その2

表紙
 カバーなし
 カラー写真 ティラピアの成魚、若魚、フ化時、仔魚


 白黒写真 成魚

口絵
 カラー8ページ

推せんにあたって 岩手県農政部長 村井政吉

 ・・・彼がこの研究に着手したのは昭和四十四年からであるが・・・、
 温泉水の有効利用による繁殖飼育法の作出で・・・

   昭和五十三年九月

推せんの言葉
  農林水産省 淡水区水産研究所 養魚研究室長 丸山為蔵

 ・・・我が国に導入されたのは1962年12月(昭和37年)で、・・・・
 ・・・企業化が進まなかった背景には、・・・ティラピア・モザムビカ
 (※モザンビカ)という種類の評価があまりに低く・・・

まえがき
 ・・・はや十年になりました。・・・。
 これらは、昭和四十七年一月の中間報告文も含まれており、
 その後に執筆したもの、また、今回新たに加えたもの等のため・・・

       昭和五十三年猛暑の夏  鹿糠久助

ここから本文

1、来歴と将来性 P.13~19
 (1)ティラピアの養殖
  F.A.O(世界食糧農業機構が昭和30年と昭和32年に養殖法を
  紹介
  モザンビカやニロチカの日本への導入年を紹介
  生産量や稚魚尾数を記述

 (2)ティラピアの将来性
  平方あたりの尾数、給餌率を記述

2、出合いと試験 ~P.40
 (1)熱帯魚との出合い
  ・・・昭和三十七年の夏、カラー印刷の「熱帯魚」という観賞魚
  の本を、町で見つけたのが熱帯魚という魚に興味を持った最
  初であった。

  ・・・松島水族館を見学にいった際、観賞魚月刊誌「フィッシュ
  マガジン」の創刊号
が目に入った。・・・

 (2)金田一温泉と魚
  泉臭がほとんどない

 (3)食用熱帯魚の企画
  ・・・・お湯をもらってきて、水槽に入れて金魚をはなしてみたと
  ころ、・・・・一カ月後にはひじょうに大きくなっていた。

  金田一村役場の観光係との話

 (4)温泉利用による飼育
  養殖試験と失敗と繁殖成功の話

 (5)企業化の試験
  大きな池による本格的な試験の話

 (6)企業化の計画
  温泉事業協同組合の足並み

 (7)地元の動き
  省略

 (8)試食会と魚の名前
  金鯉、金鯛、岩鯛、アフリカ鯉、アフリカ鯛、カヌカ鯛、湯鯛などの
  候補

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