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2013年9月

2013年9月25日 (水)

「トサキンの飼い方」 日本金魚普及会 昭和52年

「トサキンの飼い方」 日本金魚普及会 1977年5月1日発行 A5判 P.32 非売品

 今回紹介するのは書籍と言うより冊子風で、よくある協会の頒布冊子の部類だと思います。
 奥付には「日本金魚叢書 1.トサキンの飼い方」となっています。叢書ですから、この他にも金魚に関する冊子をシリーズで発行しているかもしれませんが、確認していません。

 金魚の単一品種の飼育書はほとんどありませんが、古くはランチュウそして最近ではピンポンパールの飼育書は出版されています。
 金魚の中でも土佐金は品種名からわかるように特に特殊性が強いため、通常書店で購入できる金魚飼育書の中でははほとんど解説されていません。

 そのような環境なので、本冊子は極めて珍しいということになります。発行年も昭和52年と新しいのですが、市場で見ることはほとんどありませんし、冊子なので古書界でも出にくいと思います。

 発行元は「日本金魚普及会」となっていますが、奥付の住所には「緑書房内」となっていることから構成、編集、文、写真等は緑書房の手によるもの推測できます。

 冊子の作りは、紙質は普通、白黒写真とイラスト少々、本文は2段組み、製本は真中をホチキスで留める中綴冊子となっています。

【構成】
表紙
目次
 (1)トサキンの歴史
 (2)トサキンの形態
 (3)トサキンの各部の名称
 (4)トサキンの観賞法
 (5)トサキンの飼育法
  △飼育にあたって
  △飼育容器
  △トサキンの入手と最初の一週間
  △餌の与え方
  △水替え
  △越冬のさせ方
  △春先の飼育

 (6)トサキンの繁殖法
  △仔魚を採る前に
  △親魚の選定
  △産卵期の判定
  △産卵容器と魚巣
  △産卵
  △産卵後の処理
  △孵化と餌づけ
  △水替えと選別
  △梅雨から夏場の飼育
  △秋の飼育

本文
参考文献
裏表紙

-----メモ-----
1977年=昭和52年

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2013年9月15日 (日)

「蓮ハ平和の象徴也」 副題「大賀一郎博士を偲ぶ」 大賀一郎博士追憶文集刊行会 昭和42年 その6

v (式辞・弔辞)
大賀一郎告別式
 式辞 教友 鈴木俊郎
  …物慾について、きわめてテンタンでありました。しかしそれだけ
  に、人間関係については、むしろタンランであり、人なつこさがつ
  よくありました・・・
  ---メモ---
  テンタン=恬淡=無欲であっさりしていること
  タンラン=貪婪=飽くことを知らないこと
  慫=ショウ、おどろ(く)、すす(める)

 弔辞 府中市長 矢部隆治

 弔辞 千葉市長 宮内三朗
  ---メモ---
  鴻業=こうぎょう。大きな事業。

 弔辞 吉備町長 高木 潤
 弔辞 南満州工業専門学校同窓会伏水会々長 水津川利輔

 弔辞 真田正造全集刊行会代表 風間 元
  ---メモ---
  瘁=スイ、ズイ、つかれ=病み疲れる意
  尽瘁=自分の労苦を顧みることなく、全力を尽くすこと。

 弔辞 長野県篠ノ井市立東中学校 職員生徒一同

大賀一郎博士吉備町民告別式
 お別れの言葉 吉備町長 高木 潤
  ---メモ---
  糟糠=酒かすと米ぬか。貧しい食事の形容。
  糟糠の妻=貧しいときから一緒に苦労を重ねてきた妻
  栴檀=せんだん。

 弔辞 岡山県知事 加藤武徳
  ---メモ---
  陞=ショウ、のぼる。
  敍=ジョ、ショ、のべる。
  敍陞=ショウジョ。官位があがること。

 弔辞 岡山市長 岡崎平夫
  ・・・第一高等学校の工学科に入学されながら、・・・植物科に転
  ぜられ・・・

 最後の言葉 山陽放送会長 谷口久吉
  成功の秘訣という内村鑑三先生の言葉を引用
  一つ書いておきます
   人生の目的は金銭を得るにあらず、品性を完成するにあり

 弔辞 京都聖書研究会代表・京都府立大学教授 小田丙午郎

 弔辞 岡山大学教授 奥村二吉 省略
 弔辞 津山基督教学園理事長 森本謙三 省略
 弔辞 吉備町議会議長 幸原昇平
  ---メモ---
  嘸=さぞ

 弔辞 小西部落代表 森 豊太郎 省略

vi (遺文)
ハスは平和の象徴也 大賀一郎
 1964年

vii (小伝・大賀ハス発掘記・年譜・著作目録)
「この人の足跡」大賀一郎博士 元朝日新聞論説副主幹 白石 凡
 大賀博士のことが伝記的に書かれている。
 東京大学運動場にある碑文を掲載
 ・・・帰国して1927年、「南満州フランテン産の生存古蓮実の研究」
 という論文によって、理学博士の学位を得た。・・・
 ・・・「近江妙蓮から近江妙蓮へ」という彼の著書が、彼の死去する
 二日前に、枕頭へとどけられた。・・・

ここを掘ればハスの実が出る 元東京大学農場長 高野忠興
 ・・・農場敷地の一角に穂積建設の工事事務所があったが、・・・
 「先日、植物の研究をしているという老先生がみえましてね、変
 わった話をして行かれました。あそこの湿地を掘ればハスの実
 が出る。ハスの実を掘らしてくれ、というんですね。・・・」
 検見川農場へ来た理由、丸木舟が発見された経緯を記述
 ・・・ハスの実の・・・古くなるとツルツルして、光沢をもっている。
 検見川遺跡の年代の決め手を記述
 発掘費用工面の話
 ---メモ---
 泥炭、化土(けど)、草炭

大賀一郎年譜 省略
大賀一郎著作目録 掲載誌名、号数、刊行年月を記載
 1、生物学
  植物学論文 21件
  蓮
   蓮 22件
   南満州普蘭店産古蓮実 8件
   検見川産大賀蓮 16件
   開花音論争 14件
   妙蓮 9件
   蓮に関する随筆 16件
   蓮の開花音論争一瞥 17件

  その他 20件

 2、古美術自然科学
    当麻曼荼羅 27件
    布目瓦 7件
    その他 5件

 3、キリスト教 23件
 4、随筆(一般) 49件

あとがき 大賀栄一
 追悼集を編集したいと心の決めましたのは告別式の直後であり
 ました。・・・
   1967(昭和42)年4月
   大賀一郎誕生84年を記念して
      大賀栄一

これでこの本の紹介は終わりです。

---メモ---
関連書

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2013年9月12日 (木)

「蓮ハ平和の象徴也」 副題「大賀一郎博士を偲ぶ」 大賀一郎博士追憶文集刊行会 昭和42年 その5

近江妙蓮 平尾庄吉
 妙蓮の来歴、衰退、武蔵野妙蓮(室町期の妙蓮が廻り廻った
 の)の移植の話
 執筆者は近江妙蓮保存会会長

近江田中部落と先生 田中源兵衛
 ・・・これから残りの私の生涯を、この蓮の研究に没頭したいから
 よろしくたのむ・・・
 執筆者は滅びた妙蓮を守っていた子孫

大賀先生の妙蓮研究に想う 田中常尚
 妙蓮の移植経路の話
 執筆者は近江妙蓮保存会会員

早朝観蓮歌会(守山婦人会短歌部) (三品千鶴 選)

大賀先生をしのぶ 藤井 駿
 ・・・キリストの福音を熱心に説かれた。しかし、氏神への思慕は
 別だ、と言われた。・・・
 執筆者は岡山大学教授
 ---メモ--
 駑馬=どば=足ののろい馬。また、才能の劣る人のたとえ。謙遜
 塋=エイ、ヨウ、はか 火火+かんむり+土
 先塋(せんえい)の地は、先祖のお墓がある土地の意

大賀君も思い出 畠山蔵六
 ・・・・僕も妙な研究に首を突込んで別に役にも立たん仕事だと思
 って居たが、妙に世間では持てはやされ・・・
 執筆者は東京動物園協会理事

岡山の観蓮節 杉 鮫太郎
 後楽園に植えた話
 執筆者は岡山観蓮会会員

大賀先生と「烏城」誌 藤原芳男
 執筆者は元県立朝日高校教諭

小西に帰られた先生 脇本珂良
 執筆者は農業
 ・・・最後に先生の格言に、「人と争ったら必ず負ける事」が第一
 ですよと教えられました。

純真な先生 脇本猪三男
 執筆者は吉備町大賀博士後援会副会長

大賀先生断片 太田寿三
 執筆者は元吉備中学校長

「大賀伯父さん」の想い出 西沢章三郎
 気質の話
 執筆者は甥

伯父と本 多賀宗隼
 蔵書の話など
 執筆者は甥

天から降ってくる 林 保子
 ・・・お金が必要な時は、ちゃんと天から降ってくるんだよ・・・
 執筆者は

忘れ得ぬ思いで 大賀栄一
 執筆者は、養子

---メモ---

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2013年9月 9日 (月)

「蓮ハ平和の象徴也」 副題「大賀一郎博士を偲ぶ」 大賀一郎博士追憶文集刊行会 昭和42年 その4

iv (知友・観蓮会・郷里岡山・親族)
私の見た大賀先生の歓喜 道正安治郎
 検見川ハスの話
 高等女学園の話 鴎かもめ
 執筆者は春風学寮寮長

大賀氏に思う 稲葉好延
 執筆者は未記載

いのち永遠に 小林 図
 内村鑑三の癖の話
 執筆者は朝の思想主幹

仕事が山程ある 谷 貞信
 第八高等学校での野外実習の話
 ・・・いつもたくさんの書籍の中に埋もれながら、コツコツと著述し
 ていられた。「おかねがなくなると、こうして勉強するのですよ。
 そうすると、おかねを貰える。」・・・
 執筆者は元東京医療少年院長

大賀先生を偲ぶ 望月清次
 執筆者は武蔵野新聞社長

長野に先生を迎えて 風間 敏
 執筆者は中学校教諭

博士の研究態度 高野忠興
 ・・・小屋がけ式、屋台式学問という・・・
 執筆者は元東大検見川農場長

開花音 杉本郁太郎
 ・・・風流音についての・・・
 ・・・「ぽんという音は、つまり目で聞いた音なのです。・・・蓮の開
 花音を「見る」なんて風流の極致ですよ」
 執筆者は千葉はすの会会長

大賀ハス讃歌 山口義男
 執筆者は中学校PTA副会長

大賀博士御通夜即興吟 釈 星花
 執筆者は詩人

二つの額のことなど 藤川 覚
 敬天報四恩についての話
 ---メモ---
 勁=ケイ、キョウ、つよい
 雄勁=ゆうけい 男性的で力強い・こと
 膺=オウ、ヨウ、あたる、うつ
 服膺=ふくよう、心にとどめて忘れないこと。
 執筆者は小学校PTA会長

大賀ハス発掘碑のこと 菅形由夫
 執筆者は大賀ハス発掘碑建設委員会事務長

白髪の童心 市原三郎
 伝記に対する考え
 執筆者は伝記叙事詩「永遠の花」著者

ステテコの先生 村上芳男
 ・・・岡山で実弟の河本御夫妻のお話を承った。・・・
 執筆者は府中大賀会会長

大賀文庫について 大西伍一
 戦災の心配がだんだん濃くなってから、・・・愛蔵書の半分ばかり
 を府中の東京農林専門学校に移されたとき、果たして大空襲に
 あい上落合のお宅は一切灰尽となって・・・
 ・・・「古今図集集成」のように大部のものを、個人で持っていた
 のは日本で大賀先生ただ一人であったのではあるまいか。
 執筆者は東京都府中市立図書館長

大賀一郎先生を追慕する 井下 清
 開花音調査の手伝いなど
 執筆者は東京市公園部長
 ---メモ---
 更めて=あらためて

蓮の会 小栗 玄
 ---メモ---
 聊か=いささか
 執筆者は東京都北部公園緑地事務所長

平和の使者 阪本祐二
 執筆者は高校教師 教え子

和歌山と大賀ハス 村上六三
 執筆者は県議 元日中友好協会常任理事?

和歌山に先生をお迎えして 湯川綾子
 執筆者は前美浜町長夫人

大賀博士を讃える歌 山本好一
 執筆者は和歌山蓮の会会員

大賀先生のこと 北の竹俊
 先祖(墓)がある和歌山の話など
 執筆者は会社員

鎌倉とハス 小山冨士夫
 ・・・晩年先生はきまった月の収入は五千円しかないという噂
 をきき・・・
 象鼻盃の話
 執筆者は元国立博物館員

蓮の大賀先生に捧ぐ 木下 甚
 ---メモ---
 須く=すべからく
 執筆者は文化財虫害研究所常務理事

たまゆら 田口荷香
 執筆者は十日町観蓮会会員

十日町の織物と先生 瀧沢栄輔
 十日町に来た経緯など
 ---メモ---
 厥=ケツ、コチ、その、それ
 執筆者は十日町観蓮会幹事長

ハスの記念碑 山内正豊
 ・・・秘蔵の「アメリカ黄バス」先生命名の「王子バス」を・・・
 執筆者は十日町観蓮会会長

闘志と慈愛の人 志摩吉兵衛
 ・・・約束どおり、二千年ハスはもちろん、酔姫蓮、王子ハス、
 毎葉蓮の分根・・・
 酔妃蓮 (すいひれん)の誤りか?
 執筆者は石巻蓮花園園主

---メモ---
関連書

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2013年9月 5日 (木)

「蓮ハ平和の象徴也」 副題「大賀一郎博士を偲ぶ」 大賀一郎博士追憶文集刊行会 昭和42年 その3

iii (学術・奉職校・助手)
嗚呼!大賀君 中野治房
 ・・・君地下に笑って享けられんことを
 享ける=うける、受ける。
 寂寞=せきばく。ひっそりとして寂しいさま。
 執筆者は元東大教授で理科植物学科の同窓

大賀先生とハスの発芽試験 篠遠喜人
 ハンス・スローン侯採集の蓮の実発芽実験
 執筆者は国際基督教大学教授

ハスの葉の臍と大賀氏の余技 石川光春
 咫=シ、尺+只 咫尺=しせき。非常に近い距離
 聊か=いささか
 爾=ジ、ニ、なんじ、その。爾余=じよ。そのほか。
 執筆者は元一高教授

大賀一郎先生の思い出 盛永俊太郎
 「釈迦の世に飛びし蓮の実今芽生ゆ」
 これが三千年前ならば釈迦の世、二千年前ならばキリストの世
 のものだというのがのちの先生の言葉であった。
 執筆者は九大名誉教授
 驥=キ 馬+北+異 驥尾=きび。すぐれた人の後ろ

ケヤキ並木と共に 本田正次
 ・・・ケヤキ並木の保存に異常なほど熱心で、克明に分布図を描
 き、太さや枝張りなどを書き入れた長い絵巻物を良く見せてもら
 ったことがある。
 執筆者は東京大学名誉教授

大賀一郎先生の思い出 大槻虎雄
 滝精一氏の古美術自然科学研究会の話
 平泉の藤原四代遺体の調査
 中将姫=ちゅうじょうひめ。当麻曼荼羅を織ったとされる、日本の
       伝説上の人物。
 執筆者はお茶の水女子大教授

当麻曼荼羅の糸 石田茂作
 成蹊女学校の奥田正造教授の縁
 執筆者は元奈良博物館長

故大賀先生を偲んで 葛本俊雄
 ・・・当時正体不明と言った状態の曼荼羅を・・・」この研究が終わ
 るまでは死ねない」と口ぐせの・・・。
 ・・・当麻曼荼羅図録刊行記念にと「当麻曼荼羅探玄三十年」の書
 を御恵送・・・。
 執筆者は当麻寺塔中護念院住職

検見川泥炭層の地質学的観察 尾崎 博、島倉巳三郎、
                    村木美代子
 深さごとの花粉
 執筆者は国立科学博物館地質学部長
 島倉、村木は奈良学芸大学

大賀先生にささぐ 山口春野
 ・・・「私は何も知らない、始めたばかりだ、ただ一歩先んじただけ
 だ、人はびっくりし尊敬する。世間の人は忘れっぽい、ちょっと何
 かいうとびっくりする。勉強なさい(当麻曼荼羅)一千年の間私を待
 っていてくれたかと思うと胸が高鳴る。」
 執筆者は元国立博物館館員

大賀先生と私 鈴木重昭
 執筆者は国立博物館館員

一、二の想い出 佐々木喬
 鳥取大での非常勤講師
 執筆者は元鳥取大学学長

八高時代の思い出 原田三夫
 執筆者は日本宇宙旅行協会会長 八高三回生

やさしくて強い先生 清水政治
 執筆者は元台湾精糖勤務 八高一回生

大賀先生と寓話 久保田実
 執筆者は小児病院長 八高五回生
 ---メモ---
 諄=シュン、ジュン、くどい、ねんご・ろ
 諄々=(よく)かみ砕いて ・ 噛んで含めるよう
 據=キョ、コ、よる

勇ましい高尚な生涯 筒井徳光
 執筆者は眼科医 八高出身

大賀サンの在満当時における思い出 遠藤隆次
 満鉄社立満州教育専門学校で一緒
 ・・・当時の大賀さんは、いわゆる地位と名誉と金とを豊富に兼
 ね具え
・・・
 普蘭店ハスの逸話など
 執筆者は埼玉大学名誉教授

満州での先生を偲ぶ 野田光蔵
 満州教育専門学校の話
 執筆者は新潟大学理学部教授 教専四回生

故大賀一郎博士と私の珪藻類の研究 津村孝平
 スクボルツゾ Skvortzov氏への紹介など
 執筆者は横浜市立大学助教授
 ---メモ---
 懼=おそ・る

天国の大賀先生を偲んで 太田洋愛
 満州すみれ図譜第一輯の植物画
 執筆者は植物画家

満鉄時代の因縁 夷石隆寿
 満鉄育成学校や大塚素校長の話
 執筆者は満鉄若葉会幹事長

慈父・大賀先生 行方文吾
 東京農林専門学校の頃の話
 執筆者は東京農工大学教授

大賀先生の想い出 水上金三
 ・・・お子様がなかったがよく郷里の甥御さん・・・
 執筆者は小岩井農場勤務 東京農工大

研究一途 田原義之
 ・・・「あれは並木じゃない。林だよ」と言って並木林という言葉
 使われた。・・・
 ・・・先生の奥さまは・・・白木屋をやめて・・・
 執筆者は岡山の中学教師 東京農工大

大賀先生の想い出 渡辺春季
 ・・・昼食を一緒に・・・元旦というのに麦のオジヤであった
 ・・・日本の学者の貧しさを悲しまずにはいられなかった。・・・
 執筆者は東京の中学教師 東京農工大

大賀先生の遺物 村松梅太郎
 執筆者は栃木県衛生局勤務の獣医 東京農工大

大賀先生と成蹊高女 田辺留蔵
 成蹊高等女学校での話 
 執筆者は中学校校長

宗教は違っていても 内田 操
 ・・・大塚善心寺住職中沢賢忍師・・・忍書院の名で「ハスを語る」
 が発行されましたが、住職が一切の費用を出され生活の足しに
 なさるよう御本を渡されましたが、無慾の先生は代金を殆んどお
 取りにならず配本されたそうで、・・・
 執筆者は主婦 清和会 成蹊女子

大賀先生と云う人 白山源三郎
 生活感の話など
 執筆者は関東学院院長

蓮根の穴 清水 武
 双頭の話など
 執筆者は関東学院大学教授

ソクラテス的性格 伊藤卓二
 執筆者は関東学院大学図書館次長

先生の講義 三浦啓治
 執筆者は関東学院大学生

大賀先生をお偲びして 岡本信子
 執筆者は元助手

先生から受けた教え 奥山清子
 執筆者は元助手

貧しきものは幸いなり 榎本清子
 執筆者は元助手

人生の指針 長島時子
 執筆者は元助手

---メモ---
関連書

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2013年9月 2日 (月)

「蓮ハ平和の象徴也」 副題「大賀一郎博士を偲ぶ」 大賀一郎博士追憶文集刊行会 昭和42年 その2

口絵
 墓碑
 白黒写真
  肖像
  日の岬の碑
  勲三等瑞宝章記念

序文
 岡山県は明治以来、各界に多くの名士を出している。・・・
 ・・・大賀は終始一介の学徒で、旧一高東大に学び、同理学部において植物学を専攻し・・・。

 ・・・早く学生時代に無教会主義キリスト教の創始者内村鑑三の門に入ってから、終生この信仰を把持して揺るがず、それこそ彼の研究と生活一切の根底にあって、かれを支えたところのものである。・・・

     1967(昭和42)年2月中旬    南原 繁

 ---メモ---
 揮毫=毛筆で何か言葉や文章を書くこと。「毫(ふで)を
     揮(ふる)う」

---ここから本文---
大賀一郎博士の想い出 坂田裕
 内村鑑三の札幌農学校での成績
 執筆者は関東学院名誉院長。
 ---メモ---
 角筈(つのはず)は、東京都新宿区にかつてあった地名。

大賀一郎博士の追憶 南原繁
 街の哲人、民衆の学者
 執筆者は元東大総長

蓮のような浄らかな先生 小原国芳
 第八高等学校時代の話
 執筆者は玉川大学学長
 ---メモ---
 渇仰=かつごう 心からあこがれ慕うこと。
 フウ、ボウ、すがた。豊(豐)の簡体字

大賀一郎君追憶 柴田雄次
 古文化財から当麻曼荼羅の話
 執筆者は東大名誉教授
 ---メモ---
 銹=シュウ、シュ、さび 金秀
 藕糸=ぐうし。蓮の茎や根の細い繊維。蓮の糸。

大賀君を憶う 桑田義備
 藤井先生門下の間柄
 執筆者は京大名誉教授

大賀博士の追想 木原均
 ベルリンでの話など
 執筆者は国立遺伝研究所長

中学時代の大賀博士 佐藤富三郎
 中学時代のニックネームほか、当時の話
 執筆者は元関西高等学校長

先生と名誉町民 高木潤
 ・・・歳老いては郷里が一入深くなる。特に私の如き倒産して郷里
 を捨てた者の子孫には
、その不名誉が身に痛く覚えるので、いつ
 の日か錦を飾るような名誉を克ち得た身をもって、わが古里の土
 を力強く踏みしめたいものと、・・・
 執筆者は都窪郡吉備町長

ii (教友)
大賀さんと父鑑三 内村裕之
 執筆者は内村鑑三の子、東大名誉教授

大賀一郎兄に謝す 斎藤宗次郎
 執筆者は内村鑑三高弟

大賀一郎兄に憶う 黒崎幸吉
 執筆者は独立伝道

大賀兄の想い出 久山寅一郎
 ・・・「お金がほしいなあ」、「神様は決して余分には下さらぬが、
 要るだけは必ず下さる」・・・恬淡ではあったが、決して無欲では
 なかったこと
を示しているのである。
 ---メモ---
  恬淡=てんたん。物に執着しないさま。「無欲」はあれこれ欲し
       がらないこと。
  執筆者は独立伝道

追憶 小坂八郎
 執筆者は独立伝道

追憶短章 鈴木俊郎
 執筆者は内村鑑三全集編集者・十字屋社長

大賀先生の想い出 服部元治
 執筆者は基督系の仲間
 ---メモ---
 酣=たけなわ

大賀先生の思い出 秋元梅吉
 東京光の家理事長

「後世への最大遺物」と大賀先生 鈴木弼美
 執筆者はキリスト教独立学園高校長で「すけよし」と読む

無一物中無尽蔵の大賀博士 渡辺五六
 執筆者は日本食糧協会理事、キリスト教関係

大賀兄を偲ぶ 松田英二
 執筆者はメキシコ国立大学教授

蓮の実の先生 湯沢 健
 執筆者は元結核研究所副所長

大賀先生の想い出 牧野実枝治
 執筆者は独立伝道者

大賀先生の遺訓 平山 清
 執筆者は日本大学教授

二千年ハスの開花に憶う 森本謙三
 執筆者は津山キリスト教学園理事長

死滅を知らぬ生命 金沢なつ
 ・・・昭和三十九年元旦のお葉書で「・・・・私も弱くなりかけました
 が、死にたくはありません。地上の仕事が、まだゝいたしたくあり
 ます。」
 「死滅を知らぬ生命」と「ハスを語る」の御著書の中で・・・
 執筆者は金沢常雄の夫人

追憶 黒沢元悌
 ・・・御出身校の岡山一中の・・・
 執筆者は岡山県電力協議会事務局長 キリスト教関連

 ---メモ---
 洵に=まことに

後世に残るもの 梅田花枝
 ・・・「大賀先生はどういう動機から蓮の研究を始められたのです
 か
」と聞きますと、「君は内村先生の”後世への最大遺物”都云う
 執筆者は内村鑑三令姪

与うるは受くるより幸せなり 松尾春雄
 執筆者は九州大学名誉教授

大賀先生と満州・山陰 藤沢武義
 渺=びょう、みょう さんずい+目+少
 渺たる=びょうたる 水面などが限りなく広がっているさま。
 瘁=スイ、ズイ、つかれ
 尽瘁=じんすい。自分のことはかまわずに苦労すること。
 執筆者は独立伝道

一信一会 小田丙午郎
 執筆者は京都府立大学教授 キリスト教関連

伝道師としての大賀一郎先生 平方龍男
  執筆者は信愛ホーム理事長 キリスト教関連

やさしかった先生 野村ミエ
 執筆者は白十字理事長 野村 実 氏夫人

信仰の証し人 鎌田 正
 ・・・僕は貧乏だから日本中の皆さんから、同情され励まされる
 のです。・・・
 執筆者はキリスト新聞編集局長

大賀先生の想い出 蓮池春江
 執筆者は蒲池 信 夫人 キリスト関連

追憶 中井巌
 ・・・いろいろの若い人を世話し、教育したのは三十一人ほどに
 達した・・・
 執筆者は日本基督教団みぎわ教会牧師

追慕のことば 加藤通子
 執筆者は関係不明

---
関連書

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