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2013年9月 5日 (木)

「蓮ハ平和の象徴也」 副題「大賀一郎博士を偲ぶ」 大賀一郎博士追憶文集刊行会 昭和42年 その3

iii (学術・奉職校・助手)
嗚呼!大賀君 中野治房
 ・・・君地下に笑って享けられんことを
 享ける=うける、受ける。
 寂寞=せきばく。ひっそりとして寂しいさま。
 執筆者は元東大教授で理科植物学科の同窓

大賀先生とハスの発芽試験 篠遠喜人
 ハンス・スローン侯採集の蓮の実発芽実験
 執筆者は国際基督教大学教授

ハスの葉の臍と大賀氏の余技 石川光春
 咫=シ、尺+只 咫尺=しせき。非常に近い距離
 聊か=いささか
 爾=ジ、ニ、なんじ、その。爾余=じよ。そのほか。
 執筆者は元一高教授

大賀一郎先生の思い出 盛永俊太郎
 「釈迦の世に飛びし蓮の実今芽生ゆ」
 これが三千年前ならば釈迦の世、二千年前ならばキリストの世
 のものだというのがのちの先生の言葉であった。
 執筆者は九大名誉教授
 驥=キ 馬+北+異 驥尾=きび。すぐれた人の後ろ

ケヤキ並木と共に 本田正次
 ・・・ケヤキ並木の保存に異常なほど熱心で、克明に分布図を描
 き、太さや枝張りなどを書き入れた長い絵巻物を良く見せてもら
 ったことがある。
 執筆者は東京大学名誉教授

大賀一郎先生の思い出 大槻虎雄
 滝精一氏の古美術自然科学研究会の話
 平泉の藤原四代遺体の調査
 中将姫=ちゅうじょうひめ。当麻曼荼羅を織ったとされる、日本の
       伝説上の人物。
 執筆者はお茶の水女子大教授

当麻曼荼羅の糸 石田茂作
 成蹊女学校の奥田正造教授の縁
 執筆者は元奈良博物館長

故大賀先生を偲んで 葛本俊雄
 ・・・当時正体不明と言った状態の曼荼羅を・・・」この研究が終わ
 るまでは死ねない」と口ぐせの・・・。
 ・・・当麻曼荼羅図録刊行記念にと「当麻曼荼羅探玄三十年」の書
 を御恵送・・・。
 執筆者は当麻寺塔中護念院住職

検見川泥炭層の地質学的観察 尾崎 博、島倉巳三郎、
                    村木美代子
 深さごとの花粉
 執筆者は国立科学博物館地質学部長
 島倉、村木は奈良学芸大学

大賀先生にささぐ 山口春野
 ・・・「私は何も知らない、始めたばかりだ、ただ一歩先んじただけ
 だ、人はびっくりし尊敬する。世間の人は忘れっぽい、ちょっと何
 かいうとびっくりする。勉強なさい(当麻曼荼羅)一千年の間私を待
 っていてくれたかと思うと胸が高鳴る。」
 執筆者は元国立博物館館員

大賀先生と私 鈴木重昭
 執筆者は国立博物館館員

一、二の想い出 佐々木喬
 鳥取大での非常勤講師
 執筆者は元鳥取大学学長

八高時代の思い出 原田三夫
 執筆者は日本宇宙旅行協会会長 八高三回生

やさしくて強い先生 清水政治
 執筆者は元台湾精糖勤務 八高一回生

大賀先生と寓話 久保田実
 執筆者は小児病院長 八高五回生
 ---メモ---
 諄=シュン、ジュン、くどい、ねんご・ろ
 諄々=(よく)かみ砕いて ・ 噛んで含めるよう
 據=キョ、コ、よる

勇ましい高尚な生涯 筒井徳光
 執筆者は眼科医 八高出身

大賀サンの在満当時における思い出 遠藤隆次
 満鉄社立満州教育専門学校で一緒
 ・・・当時の大賀さんは、いわゆる地位と名誉と金とを豊富に兼
 ね具え
・・・
 普蘭店ハスの逸話など
 執筆者は埼玉大学名誉教授

満州での先生を偲ぶ 野田光蔵
 満州教育専門学校の話
 執筆者は新潟大学理学部教授 教専四回生

故大賀一郎博士と私の珪藻類の研究 津村孝平
 スクボルツゾ Skvortzov氏への紹介など
 執筆者は横浜市立大学助教授
 ---メモ---
 懼=おそ・る

天国の大賀先生を偲んで 太田洋愛
 満州すみれ図譜第一輯の植物画
 執筆者は植物画家

満鉄時代の因縁 夷石隆寿
 満鉄育成学校や大塚素校長の話
 執筆者は満鉄若葉会幹事長

慈父・大賀先生 行方文吾
 東京農林専門学校の頃の話
 執筆者は東京農工大学教授

大賀先生の想い出 水上金三
 ・・・お子様がなかったがよく郷里の甥御さん・・・
 執筆者は小岩井農場勤務 東京農工大

研究一途 田原義之
 ・・・「あれは並木じゃない。林だよ」と言って並木林という言葉
 使われた。・・・
 ・・・先生の奥さまは・・・白木屋をやめて・・・
 執筆者は岡山の中学教師 東京農工大

大賀先生の想い出 渡辺春季
 ・・・昼食を一緒に・・・元旦というのに麦のオジヤであった
 ・・・日本の学者の貧しさを悲しまずにはいられなかった。・・・
 執筆者は東京の中学教師 東京農工大

大賀先生の遺物 村松梅太郎
 執筆者は栃木県衛生局勤務の獣医 東京農工大

大賀先生と成蹊高女 田辺留蔵
 成蹊高等女学校での話 
 執筆者は中学校校長

宗教は違っていても 内田 操
 ・・・大塚善心寺住職中沢賢忍師・・・忍書院の名で「ハスを語る」
 が発行されましたが、住職が一切の費用を出され生活の足しに
 なさるよう御本を渡されましたが、無慾の先生は代金を殆んどお
 取りにならず配本されたそうで、・・・
 執筆者は主婦 清和会 成蹊女子

大賀先生と云う人 白山源三郎
 生活感の話など
 執筆者は関東学院院長

蓮根の穴 清水 武
 双頭の話など
 執筆者は関東学院大学教授

ソクラテス的性格 伊藤卓二
 執筆者は関東学院大学図書館次長

先生の講義 三浦啓治
 執筆者は関東学院大学生

大賀先生をお偲びして 岡本信子
 執筆者は元助手

先生から受けた教え 奥山清子
 執筆者は元助手

貧しきものは幸いなり 榎本清子
 執筆者は元助手

人生の指針 長島時子
 執筆者は元助手

---メモ---
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