「蓮ハ平和の象徴也」 副題「大賀一郎博士を偲ぶ」 大賀一郎博士追憶文集刊行会 昭和42年 その2
口絵
墓碑
白黒写真
肖像
日の岬の碑
勲三等瑞宝章記念
序文
岡山県は明治以来、各界に多くの名士を出している。・・・
・・・大賀は終始一介の学徒で、旧一高東大に学び、同理学部において植物学を専攻し・・・。
・・・早く学生時代に無教会主義キリスト教の創始者内村鑑三の門に入ってから、終生この信仰を把持して揺るがず、それこそ彼の研究と生活一切の根底にあって、かれを支えたところのものである。・・・
1967(昭和42)年2月中旬 南原 繁
---メモ---
揮毫=毛筆で何か言葉や文章を書くこと。「毫(ふで)を
揮(ふる)う」
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大賀一郎博士の想い出 坂田裕
内村鑑三の札幌農学校での成績
執筆者は関東学院名誉院長。
---メモ---
角筈(つのはず)は、東京都新宿区にかつてあった地名。
大賀一郎博士の追憶 南原繁
街の哲人、民衆の学者
執筆者は元東大総長
蓮のような浄らかな先生 小原国芳
第八高等学校時代の話
執筆者は玉川大学学長
---メモ---
渇仰=かつごう 心からあこがれ慕うこと。
フウ、ボウ、すがた。豊(豐)の簡体字
大賀一郎君追憶 柴田雄次
古文化財から当麻曼荼羅の話
執筆者は東大名誉教授
---メモ---
銹=シュウ、シュ、さび 金秀
藕糸=ぐうし。蓮の茎や根の細い繊維。蓮の糸。
大賀君を憶う 桑田義備
藤井先生門下の間柄
執筆者は京大名誉教授
大賀博士の追想 木原均
ベルリンでの話など
執筆者は国立遺伝研究所長
中学時代の大賀博士 佐藤富三郎
中学時代のニックネームほか、当時の話
執筆者は元関西高等学校長
先生と名誉町民 高木潤
・・・歳老いては郷里が一入深くなる。特に私の如き倒産して郷里
を捨てた者の子孫には、その不名誉が身に痛く覚えるので、いつ
の日か錦を飾るような名誉を克ち得た身をもって、わが古里の土
を力強く踏みしめたいものと、・・・
執筆者は都窪郡吉備町長
ii (教友)
大賀さんと父鑑三 内村裕之
執筆者は内村鑑三の子、東大名誉教授
大賀一郎兄に謝す 斎藤宗次郎
執筆者は内村鑑三高弟
大賀一郎兄に憶う 黒崎幸吉
執筆者は独立伝道
大賀兄の想い出 久山寅一郎
・・・「お金がほしいなあ」、「神様は決して余分には下さらぬが、
要るだけは必ず下さる」・・・恬淡ではあったが、決して無欲では
なかったことを示しているのである。
---メモ---
恬淡=てんたん。物に執着しないさま。「無欲」はあれこれ欲し
がらないこと。
執筆者は独立伝道
追憶 小坂八郎
執筆者は独立伝道
追憶短章 鈴木俊郎
執筆者は内村鑑三全集編集者・十字屋社長
大賀先生の想い出 服部元治
執筆者は基督系の仲間
---メモ---
酣=たけなわ
大賀先生の思い出 秋元梅吉
東京光の家理事長
「後世への最大遺物」と大賀先生 鈴木弼美
執筆者はキリスト教独立学園高校長で「すけよし」と読む
無一物中無尽蔵の大賀博士 渡辺五六
執筆者は日本食糧協会理事、キリスト教関係
大賀兄を偲ぶ 松田英二
執筆者はメキシコ国立大学教授
蓮の実の先生 湯沢 健
執筆者は元結核研究所副所長
大賀先生の想い出 牧野実枝治
執筆者は独立伝道者
大賀先生の遺訓 平山 清
執筆者は日本大学教授
二千年ハスの開花に憶う 森本謙三
執筆者は津山キリスト教学園理事長
死滅を知らぬ生命 金沢なつ
・・・昭和三十九年元旦のお葉書で「・・・・私も弱くなりかけました
が、死にたくはありません。地上の仕事が、まだゝいたしたくあり
ます。」
「死滅を知らぬ生命」と「ハスを語る」の御著書の中で・・・
執筆者は金沢常雄の夫人
追憶 黒沢元悌
・・・御出身校の岡山一中の・・・
執筆者は岡山県電力協議会事務局長 キリスト教関連
---メモ---
洵に=まことに
後世に残るもの 梅田花枝
・・・「大賀先生はどういう動機から蓮の研究を始められたのです
か」と聞きますと、「君は内村先生の”後世への最大遺物”都云う
執筆者は内村鑑三令姪
与うるは受くるより幸せなり 松尾春雄
執筆者は九州大学名誉教授
大賀先生と満州・山陰 藤沢武義
渺=びょう、みょう さんずい+目+少
渺たる=びょうたる 水面などが限りなく広がっているさま。
瘁=スイ、ズイ、つかれ
尽瘁=じんすい。自分のことはかまわずに苦労すること。
執筆者は独立伝道
一信一会 小田丙午郎
執筆者は京都府立大学教授 キリスト教関連
伝道師としての大賀一郎先生 平方龍男
執筆者は信愛ホーム理事長 キリスト教関連
やさしかった先生 野村ミエ
執筆者は白十字理事長 野村 実 氏夫人
信仰の証し人 鎌田 正
・・・僕は貧乏だから日本中の皆さんから、同情され励まされる
のです。・・・
執筆者はキリスト新聞編集局長
大賀先生の想い出 蓮池春江
執筆者は蒲池 信 夫人 キリスト関連
追憶 中井巌
・・・いろいろの若い人を世話し、教育したのは三十一人ほどに
達した・・・
執筆者は日本基督教団みぎわ教会牧師
追慕のことば 加藤通子
執筆者は関係不明
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