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2013年2月16日 (土)

「金魚と真珠の研究に精力を捧げた 農学博士 松井佳一追悼記」 松井魁 昭和57年 その5

  

東京大正博覧会
   ・・・工業館、御木本の真珠加工ががことに興味があった。
   ・・・館外に特設の多数のコンクリート池には、新潟県古志郡
   竹沢村東山村
鯉魚出品組合から出品の大きな色鯉は実に
   美しく・・・これが現在流行している錦鯉が知られたはじめで
   あった。・・・

   ・・・東京外語学校独語専修科の入学試験があるので・・・  

学年最後の高島実験場の臨海実習
   ・・・岡村先生より例年の習慣で卒業後の方針などを尋ね
   られる会合があった。卒業生の就職口はないとのことで
   あった。・・・私は研究をつづけたい旨を申し出た。  

照憲皇太后ごれん葬に参列 省略
  下宿の移転 - 近火に遇う
   ・・・夜卒業論文の起稿にかかった。
   ・・・徴兵検査の汽車賃と日当を含む帰郷旅費は支給せらる
   るとのことは・・・  

徴兵検査帰郷の旅
  ・・・私は・・・身長5尺3寸6分(161.4cm)、体重13貫7百匁
  (52.0kg)
・・・結果は痔疾で戌種で、翌年まわしの決定であ
  った。・・・
  ---メモ---
  壮丁=明治憲法下で、徴兵検査を受ける義務のある満20
      歳の男子。
  徴兵検査
   甲種、乙種合格は徴兵
   丁種合格は、不合格
   丙種合格は国民兵
   戌(ぼ)種合格は、兵隊の適正が判断しにくい  

卒業論文、卒業試問
   6月21日(日)・・・夜12時前卒業論文漸く完成した。「スッポ
   ンの諸器官の顕微鏡組織について」
である。
   試問の内容を記述  

卒業式
   7月5日(日)・・・午前10時卒業式場に入り・・・
   ・・・本郷曙町に日暮先生を訪い、今後の研究について御意
   見を聞いたところ、外山亀太郎博士の金魚のメンデリズムの
   実験を助手として
手伝わないかととのこと。・・・望むところで
   あるのでお引受をした。  

卒業後の研究活動 省略  

外山先生との初会見
   ・・・外山先生も御来場。ランチュウと出目金、出目と出目の
   F1を選別調査、実に面白い結果が出ていた。・・・  

高島実験場への旅
   ・・・欧州戦乱のため写真材料が2倍に高騰して・・・
   ---タグ---
   膠州湾  

帰郷の旅
   ---タグ---
   舞子介類館、矢倉甫田、農林省蚕業試験場(さんぎょう)  

慈母の死去
   ・・・59年前の日記を読みて思い出を新にした。詳記するに
   忍びない。

   ・・・養殖研究室に一席を貰い、富長君より送付の真珠につ
   いて研究することとして準備を整えた。

   青山に外山先生を訪う。研究問題としてランチュウの骨格と
   肉瘤の組織学的研究の問題
を与えられた。・・・
   ・・・深川西町の高橋金魚屋へ行きランチュウを見る。研究
   材料としてはあまりに高価であった・・・
   ---メモ---
   逮夜=四十九日や一周忌など、定められた供養日の前日や、
       命日の前夜  

大正4年(西暦1915年乙卯) ※24才
   ランチュウの肉瘤の研究の様子を記述
   ・・・歩兵第一乙種合格・・・  

蚕業試験場への就職
   ・・・「本日午前10時出頭相成度し」との端書が農商務省蚕業
   試験場より・・・場長加賀山辰四郎より「助手を命じ生理部勤
   務」の辞令を受け、外山先生の室で・・・ランチュウの肉瘤に
   ついて研究
をつづけるようにとのことで・・・

   ・・・参考書は試験場で購入するが、参考書は自分で買うよう
   に心掛ける
べきである。・・・

   秋山での金魚の実験を記述。
   ---メモ---
   仍=ジョウ、ニュウ、よ・る、しきり・に、なお
   賜暇=しか。官吏が願い出て休暇を許可されること。

  帰郷の旅
   ---メモ---
   魚梯=ぎょてい。魚が河川をのぼれるように作る、ゆるい
             傾斜や階段状の水路。魚道。  

大正天皇御即位
   ---メモ---
   酸鼻=さんび。いたましくむごたらしいこと。また、そのさま。 

大正5年(1916年) ※25才
   今年度の研究について3点記述

  仏語の学習
   金魚、メダカ、に加え闘魚、イトミミズの試験の話も出てくる。
   金魚は交配・交雜の種名まで書かれている。

   蚕業はフランスと関係が深いので・・・
   ・・・秋山実験場へ行き金魚を観察し帰途朝鮮産闘魚を持ち
   帰った。   

   文献については私も従前から蒐集につとめていたが。先生
   (外山先生のこと)より文献は出来得る限り自費で買い集め
   ることが良策で必要である・・・私は学生時代よりつとめてい
   ることで・・・
   ・・・試験場でも購入費は豊富で丸善書店の得意先であって
   ・・・吾々にも多額の貸し売りをしてくれるので誠に助かった。
   ・・・1種の月賦制度であった。
   ・・・秋山実験場へ行き・・・白メダカを持ち帰った。雄が発見
   できないので
・・・
   ・・・ランチュウの肉瘤についての研究を一応取りまとめた。

   ・・・浅草へ行き観音裏千束町の金魚商石川亀吉氏を訪い、
   折柄開催中の観魚会の品評会を視察した。

   ---メモ---
   蚕蛹=さんよう
   簇=ソウ、むら・がる
   上簇=じょうぞく。成熟した蚕を、繭を作らせるため、蔟
       (まぶし)に移し入れること。
   訪い=とぶらい
   ---タグ---
   金子保、横山慶次郎、水島南平(以上画家、写生)
   日本育種学会、海事水産博覧会、西ヶ原の高等
   蚕糸学校

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