「金魚と真珠の研究に精力を捧げた 農学博士 松井佳一追悼記」 松井魁 昭和57年 その6
立太子式
・・・台湾から移入した闘魚やタップミノオが到着していた。
大正6年(1917年)丁巳 帰郷と博多への旅 ※26才
(以下医科大学生理学教室の話。九州大学か?)
・・・東京のメダカと異なり白は銀白で雄が普通に存在す
る・・・
・・・秋山実験場と同じく金魚屋をしようしていられたが、
吾々と同じく親魚の純系分離には困っていられた。・・・
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石原誠、箱崎水族館、薬草輸出農産物展覧会
大正6年後半期
・・・日暮先生を訪い研究科の修了論文として「ランチュウの
獅子頭に就いて」を提出した。
三崎臨海実験場行き
三崎臨海の話は少なく、台風による水害の話
9月30日(日)・・・颶風雨の音がはげしい。・・・秋山では
垣は破れ、試験場の叩池上は大河のように濁流滔々た
る有様で・・・実験中の魚の流出を報告した。
---メモ---
颶=ク、グ。颶風=ぐふう。暴風と云う意味になります。日本
で言う「台風」のこと。
滔=トウ、はびこ・る
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青木熊吉、東京府島嶼農村共進会
鱒研究の日光丸池行き
姫鱒、日本鱒、イワナのそれぞれの交配実験の話
・・・第4回コッホ記念講演会を傍聴した。・・・北里博士の
開会の辞、新渡戸稲造博士の医学の進歩と植民発展・・・
---メモ---
芳情=相手を敬って、その親切な心づかいをいう語。
大正7年(1918年)戌午 ※27才
イワナ、ヒメマスの孵化観察の記述
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岩崎民平
外山先生の逝去
3月29日(金)・・・先生は今朝7時40分永眠せられた。
中村組研究所就職
中村組研究所は実業家中村精七郎が300万円により水産
研究所の他・・・
金魚親魚蒐集の旅
愛知へ行きヂキン(※ジキン)を購入する話。
・・・神戸より行基鮒が到着していた。伊丹附近の昆陽(こや)
の池に産するヤキブナとも称し行基菩薩に由来するフナで透
明鱗の変種である。
コイ・フナの雑種観察の話
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安藤動物園、安藤政次郎、戸田善治郎、杉田久五郎、浅田
菊五郎、中野大倉、児玉殖市
第2回鱒類研究の旅
日光の孵化場でのイワナ、ヒメマス、日本マスの交配の
話ほか
大恐慌による中村組の経営困難の話
大正8年度 ※28才
・・・大日本水産会よりかねて公募した懸賞発明に。・・・愛
玩用飼料が3等賞に当選し受賞せられた。特許出願する
こととし、後日、養魚人工飼料製造法として出願し許可を得た。
鱒研究の旅
日光の孵化場での日本鱒、姫鱒、川鱒、嘉魚の相反交雜
の話ほか
---メモ---
嘉魚=イワナ
醒ヶ井養鱒場の実験
日光で実験した鱒類交雜種の孵化実験
大正9年(1920年) ※29才
愛知県の淡水養殖研究所への転身の話
水産講習所拡張の話
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鬼崎養魚場
淡水養殖研究所設立
設立の目的、ここでの試験内容を記述
---メモ---
奏任=そうにん。官僚の階級
鰡=りゅう、ボラ
牟=ム、ボウ。牟品漁港
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神野新田養魚株式会社、光島養魚場、中野宗治
大正10年度(1921年) ※30才
淡水養殖研究所開所式と国立養殖分場設置の話
---メモ---
移牒=いちょう。ある役所から管轄の異なる他の役所へ
文書で通知すること。
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豊橋養魚試験場
大正11年度(1922年) ※31才
牟品試験池の規模等の話
・・・予定の紙数となったので私の魚歴の大略を列記して
この辺で一応の記事を中止し後日の再稿を約したい。
その後のことを1ページで昭和4年から昭和49年までを
少し記述
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