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2013年2月22日 (金)

「金魚と真珠の研究に精力を捧げた 農学博士 松井佳一追悼記」 松井魁 昭和57年 その7

ii,私と金魚 1ページ
 本文は、平岩米吉編「動物とともに」(昭和31年,筑摩書房)に
 紹介された故人の自伝である。 

 犬、五位鷺、雉、祖父の金魚の飼育の話
 金魚の研究の話
  ・・・秋山さんは金魚飼育家として実に熟練した人で・・・金魚の
  顔を覚えていて、多数のものを1つ1つ区別することが出来る
  ほどであった。私などは、よく外山先生に、研究はそのくらい熱
  心にやらなければ駄目だといましめられたものである。・・・

 豊橋での話
 金魚に関する蒐集の話
 遺伝学の研究材料として金魚を選んだ話
 金魚がフナから変化した話
  ・・・各種の金魚を夫々に飼育しその子をとり、・・・フナと全く同
  じものが出るので、金魚がフナと先祖を同じくしていることを証
  明し得た。しかし現在のフナから金魚が出たのではない。・・・

  ・・・金魚は甚だ人に慣れ易く、・・・フナにはこの性質はない。
  いくら永く飼育しても・・・逃げて行く。・・・交雜ではフナの性質
  が遺伝され容易に慣れない

iii,トップに聞く 4ページ
 故人の出身校である水産講習所(現東京水産大学)の同窓会
 「楽水会」が、各界のトップとして活躍している会員の訪問記を
 同窓会誌「楽水」に連載した。故人には、昭和47年1月29日
 石山礼蔵教授と山田栄次事務長が取材され、676号に掲載
 された。 

 学生の頃
  水産講習所が文部省へ移管されたことのよる授業内容の話
  外山亀太郎先生との出合いの経緯の話
  ---メモ---
  恰度=ちょうど=丁度 

 金魚との出合い
  冬木町養魚場での実験から金魚への出合いの話
  蚕業試験場への就職の話
  舟成金、中村研究所の話
  豊橋養魚試験場の話
  東大の学位取得経緯の話
  ・・・私が金魚の研究をやって居ると何か個人的趣味で遊びご
  とをやっている様に皆が言って、殊にメダカの研究は水産の仕
  事ではないなど随分批判され
ました。・・・ 

 水産の現場への旅
  メキシコでの水産指導の話
  兵庫県水産試験場長時の話
  停年前に官界を去った理由 

 真珠と浮世絵
  日本合同真珠株式会社の真珠研究所の話
  財団法人真珠研究所の話
  北陸館発刊の(※北隆館の誤植と思われる)「真珠の事典」の
  経緯と不満の話
  ・・・私は昔から本が好きで、殊に古書を随分漁りましたが、中
  でも浮世絵に興味があって、大正13年頃から集めていまし
  た。・・・ 

処世の道しるべ
  ※全文転記しておきます。

  •   私は自分が自分の仕事を自分の主義で、初めから学問をやると言って、それを通して来た積もりですが、やはり専門家を作ることが大切ですね。私がまだ学生の頃、日暮先生に相談に行きましたら、先生が「同じ研究の道を10年一生懸命やりなさい。10年やれば専門家になれるから」と言われましたが、同じ方面の事を長年研究した専門家を作ることが基本でしょう。又、ある時岡村先生は、自然科学の研究は基礎をしっかりやれと言われました。私の今までの思い出から伊谷先生は実に偉い方で、私たちが2年の時は、寄宿舎の舎監として頑固なおやじで、何たら理解のない先生だろうと言ったりしていたのですが、私が豊橋在勤中一時、先輩の迫害で苦しい立場がありましたので先生に相談しましたところ、「自分も経験があるが、他人を恨(うら)むな、そして人を羨(うら)んではいけない。若し、他から意地悪されてもそれを恨まないで、自分の励みや努力の支えにしなさい」と訓戒されました。これは私一生の座右の銘としています。

以上でこの本の紹介は終わりです。
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