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2012年7月

2012年7月30日 (月)

「ランチュウと金魚」 石川亀吉・新井邦夫 共著 誠文堂新光社 昭和41年 その3

  デメキン(出目金、支那金)
   睛(ちん)とは中国で出目を意味する。

  チョウテンガン(頂天眼)
  オランダシシガシラ(オランダ獅子頭)
  アズマニシキ(東錦、キャリコオランダ)
  シュブンキン(朱文金)
  キャリコ(キャリコ琉金)
  トサキン(土佐金)
   弘化二年、須賀克三郎作出と言われている。

  シュウキン(秋錦) 省略
  キンランシ(金蘭子) 省略
  ワトウナイ(和唐内、和琉) 省略
  金魚の育種会
   秋山吉五郎氏と松井佳一氏の話題 

近年中国から移入された種類 6ページ
  渡辺宗重氏の持ち帰ったフォルマリン標本
  1964年の中華人民共和国経済貿易博覧会

  色彩や特徴に基づく分類
   以下中国語の字句説明が書かれている

  • 五花(うほあ)、絨(しゅう、又は ゆん)、球(ちゅう)、蛋(たん)、鵝(うお)

  頭の変異によって分類した呼称

  • 高頭(かうとう)、虎頭(ふとう)、鵝頭(うおとう)、獅子頭(すーづとう)、蛤蟆頭(はまと)、鼠頭(すうとう)

  目の変異によって分類した呼称

  • 竜睛(ろんちゅうん)、水泡眼(すいぱおえん)、灯泡眼(とんぱおえん)、朝天眼(つあおてんえん)、葡萄眼(ぶたおえん)、(石朱)砂眼(ちえしゃあえん)、鴛鴦眼(えんおうえん)

  鰓の変異による呼称
   反鰓(ほんす)

  鼻膜の変異による呼称
   絨球(しゅうちゅうん)

  ヒレの変異による呼称 省略
  色彩の変異による呼称 省略
  鱗の変異による呼称 省略
  金魚の姿(型)から分類した呼称
   文(うえん)種、竜(ろん)種、蛋(たん)種 

中国産金魚の種類 省略
  スイパオエン(水泡眼)
  ハマトウユイ(哈蟆頭魚)
  シュウチュウユイ(絨球魚)
  チュンシュユイ(珍珠魚)
  タンテン(丹頂) 

金魚の習性と生態(付・フナの生態) 4ページ
  水の適温と産卵
  フナの食性
  金魚の生長は果たしてどんなものであろうか
  金魚の産卵
  卵のふ化
  ふ化期と水温の変化
   水温差5度でふ化成績が落ちる
   水温差10度あると卵はしんでしまう
  子魚の生長

 ランチュウ品評会での石川亀吉翁の白黒写真を掲載

-----メモ-----
哈=コウ、ゴウ
蟆=バ、マ、ひき
睛=ひとみ、セイ、ショウ
蛋=タン、ダン、たまご
蟆=バ、マ、ひき、ひきが
鴛=エン、オン、おしど
鴦=オウ、ヨウ、おしど

2012年7月25日 (水)

「ランチュウと金魚」 石川亀吉・新井邦夫 共著 誠文堂新光社 昭和41年 その2

カバー
 赤でこの手の本にしては鮮烈です。写真は上見のランチュウ

ランチュウと金魚のすすめ

 金魚も、ありふれた種類ではあきたらず、高級金魚であるランチュウを手がける人が、ここ数年非常に多くなっている。・・・・

 私は、ランチュウ飼育に興味を持つ読者が明日からでも先輩格の同好の士と話しあえるようにと、この本を書きつづったつもりである。・・・・

     新井邦夫

口絵
 カラー写真 3ページ
  ランチュウ素赤と更紗(昭40大関)、ロクリン、アズマニシキ
  紅頭魚(丹頂)

 白黒写真  9ページ
  ランチュウ 第70回観魚会優等魚
        日本ランチュウ協会第九回大会優等魚
  ランチュウ品評会西東
  いいランチュウ、悪いランチュウ

---ここから本文---

金魚の祖先 日本の金魚・中国の金魚
 金魚の祖先はフナである 2ページ 省略
 金魚の原産地はどこか 1ページ 省略
 金魚の由来と飼育の歴史 4ページ 省略
 金魚はなぜ赤い 2ページ 省略

 品種とその特徴 25ページ

 ・・・・かつて明治から大正の初期にかけて篤志養魚家によってなされたような新品種の作出は、昨今のようにどんな金魚でも作りさえすれば売れる時代には手がかかるためか、敬遠され勝のようである。

  従来から飼われている種類

  ワキン(和金、大和)
   臀ビレの標準は二枚、ヒブナは一枚

  リュウキン(琉金、尾長、長崎)
  ランチュウ(魚蘭)(魚寿)(丸子、金(魚寿)、卵虫)
  ロクリン 六鱗(ジキン、クジャク、シャチ、ジオウ)

  愛知県天然記念物”六鱗”と飼育法 小塚光彦
   執筆者は金魚文化連合会の会長です。
   由来
    天野周防守の話
    鯱魚の云われ
    蔵六庵五柳軒=芝山勘左衛門による秋海堂汁での調色
    牧田孫兵衛による酒石酸での調色
    十王、地王の云われ
    山田王蔵による地錦の命名
    寛政の六庵調色
    金魚文化連合会による六鱗の命名
     増田冬輔、大村秋次郎、野村純一、佐藤豊次
    六鱗美術研究会から日本金魚六鱗保存会へ

   特徴
    白梅酢、梅干肉、サリチル酸、酒石酸による漂白
   六鱗の飼育方法
    容器、水質、水中の酸素、水温、水換えと注水、冬囲い
    飼料と与え方、飼養尾数と大きさ、病気

   ロクリンの保存の必要性
   飼育地と飼育団体
    六鱗保存会、金魚文化連合会の住所と会長名を掲載

   ロクリンの観賞基準
    体
    尾ビレ
     「笹われ」、「破風があわない」の説明

    揖(カジ)ヒレ
     「合わせ楓」の説明

    色彩、
     含み紅

2012年7月23日 (月)

「ランチュウと金魚」 石川亀吉・新井邦夫 共著 誠文堂新光社 昭和41年

「ランチュウと金魚」 石川亀吉・新井邦夫 共著 誠文堂新光社 昭和41年4月30日発行 153*205 P.179 定価700円 新園芸手帖シリーズ

 手元の本は昭和45年1月31日 第4版発行

 本書は発行が昭和40年代であるわりには、古書界では見かけない本である。
 字が小さいため文書量が多く読み応え十分で、白黒写真やイラストも割と多い。
 ランチュウについては55ページを割当て、六鱗について5ページを割当て掲載。六鱗についてはよく書かれている。
 また、ミジンコについて専門家である水産研究所の職員が執筆している。
 さらには魚病薬に関してもよく書かれている。

 著者の新井邦夫氏は水産庁の職員でこの道のプロで、共著者はらんちゅう宗家である。共にこの本以外では以下の本を著している。

  • 「蘭鋳秘伝」 石川亀吉/大郷房次郎共著 緑書房 昭和60年

【構成】
カバー
表紙

目次
金魚の祖先 日本の金魚・中国の金魚
 金魚の祖先はフナである
 金魚の原産地はどこか
 金魚の由来と飼育の歴史
 金魚はなぜ赤い
 品種とその特徴
  従来から飼われている種類

 愛知県天然記念物”六鱗”と飼育法 小塚光彦
 近年中国から移入された種類
  中国産金魚の種類
 金魚の習性と生態

ランチュウ入門
 ランチュウをふやす工夫・子魚の育て方
  親魚の飼育と選び方
  メス、オスの見分け方
  産卵の準備と親魚の管理
  金魚の誕生
  ふ化子魚の餌付け
  子魚の飼育と水の管理

 ランチュウの美・理想 山崎弥兵衛
 ランチュウの飼育をはじめる人のために
  ランチュウの趣味への心構え
  ランチュウ各部の呼び名と表現
  子魚の見分け方
  ランチュウの品定め

 体験
  ランチュウの親魚の選び方 小武為成、鈴木吉右衛門
  親の系統 長谷川博康
  子魚の選別のポイントと、その苦心
       加藤金次郎、門田教宗、柴田惣七郎、寺倉稔

 ランチュウの品評会
 金魚鉢を使って飼育する管理のコツ
 ランチュウの趣味生活 梶浦実
 ランチュウ飼育・四季の管理
 可愛いがりすぎ 田中耕作
 同好会について・日本らんちゅう協会規約他

金魚の飼い方入門
 金魚を買うときの心得
  金魚を飼ってみたくなる季節
  金魚売りのいろいろと買い方のコツ
  デパートや金魚店 
  市中のアマチュア
  金魚を選ぶコツ
  種類、大きさは無関心でよいか
  容器の選び方
  池の設計と作り方、場所の選定
  買ってきたばかりの金魚の餌付け
  2,500円で作れるランチュウ飼育池

 金魚の飼育で知っておきたいこと
  良い水質はなにか
  水温と魚の呼吸の関係
  ミズモと水中の酸素
  水換えと差し水
  水温と金魚の関係

 よいエサの選び方、作り方
  エサの知識
  ミジンコの習性とそのふやし方

  ミジンコの研究 杉目宗尚
   ミジンコの種類からふやし方まで

  イトミミズの採集
  ブライン・シュリンプ
  インフュゾリア、アカボウフラ
  エサとその消化の知識

  人口エサによる ふ化飼育 佐藤豊次
  エサの手当て 伊藤博
  生餌の不足の処理 横井計一

 金魚の害敵
 金魚の健康診断
 金魚の病気とその治療
  治療薬の知識

 冬囲いと夏季の日覆い
  東北でのランチュウの冬越し 佐藤良蔵
 金魚生産地の紹介 石井五一郎
 吾輩は金魚である(むすびにかえて)

扉絵 村田瑞枝
図  落合 茂
写真 森 清一

序(序とはかかれていない)
口絵
本文
奥付

-----メモ-----
昭和41年=西暦1966年
関連本

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2012年7月17日 (火)

「秋山吉五郎翁」 吉澤寛夫 昭和5年 その7

十四、博覽會ご共進會 省略
十五、翁の公生涯 省略
 一、千田町町會 省略
 二、在郷軍人會名譽會員
 三、千田神社
 四、川南小學校
 五、誠意の結晶
 六、多忙を極めた震災後
 七、東京放送局にて放送

十六、馬場先門外御濠へ放魚 省略
 一、蠑?さへ居らぬ濠
 二、小田淸吉氏の盡力
 三、放魚式場
 四、放魚式
 五、澁沢子爵と翁
 六、翁の子孫の爲め
 七、各新聞の報道

十七、大日本水産會より表彰 省略
十八、翁の罹病と終焉
 一、翁の病氣 省略
 二、病根不明 省略
 三、那須温泉行き 省略
 四、十二指腸潰瘍と膽嚢炎 省略
 五、大悟徹底 省略
 六、島田藤吉氏と對話 省略
 七、病症の增進と遺言書 省略
 八、終焉近く 省略
 九、翁の臨終
  昭和四年十一月二十九日午前十一時 享年六十二歳

十九、埋葬 省略
 葬儀
 弔辭
二十、秋山家年譜 省略

-----メモ-----
第十五章メモ
 濫觴=らんしょう。物事の起こり。始まり。觴(さかずき)、濫(うかべる)
 弊履(へいり)を棄(す)つるが如(ごと)し=惜しげもなく捨てるさま。

第十七章メモ
 曩に=さきに

第十八章メモ
 娯み=たのしみ
 沮喪=そそう。気力がくじけて元気がなくなること。
 篤き=あつき。病気で弱っているさま。

第十九章メモ
 滂沱=涙がとめどなく流れるさま。
 茲に=ここに
 盡瘁=じんすい。自分のことはかまわずに苦労すること。
 赫々=かくかく
 磅?=ほうはく。 満ち渡る,みなぎる 石簿

これでこの本の紹介は終わりです。

2012年7月14日 (土)

「秋山吉五郎翁」 吉澤寛夫 昭和5年 その6

九、美術的鑑識眼と新種類
 エピソードを三つ紹介
 横山慶次郎画伯

十、大洪水と大海嘯
 一、關西地視察
  郡山の小松春鱗、名古屋淸水町の竹内鍬次

 二、四十三年の大洪水
  八月十一日 床上四尺

 三、四十四年の大海嘯
  七月二十五日 床上六尺

 四、郡山より輸入 省略
 五、養父の逝去
  秋山佐太郎
 六、事業の擴張 省略
 七、家屋の新築 省略
 八、大正六年の大海嘯
  大正六年十月一日 床上二尺

 九、涙と血の試驗場閉止 省略
 十、大正七年の高潮 省略

十一、奮鬪の効果顯はる
 一、熱誠と努力の結果 省略
 二、營業を榮吾氏に譲る(翁の教育方針) 省略
    大膽で細心、自己に依頼せよ、魁より始めよ、使用人に
    同情せよ
 三、榮吾氏夫人を迎ふ 省略
 四、電氣局の買収 省略
 五、養魚場の大擴張 省略
 六、砂町の養殖場 省略
 七、家屋の引き移し 省略
 八、取引の改善 省略

十二、服部倉治郎氏の死去
 一、養魚界の大恩人
  株式会社服部中村養鼈場

 二、服部家一門の繁 省略

十三、大震災
 一、孝女佐々木トクニ 省略
 二、孝女の表彰式と大地震 省略
 三、避難よりは先防火 省略
 四、翁の宅は避難所 省略
 五、砂町八幡境内に避難 省略
 六、一同無事 省略
 七、翁一族の天佑 省略
 八、榮吾氏の態度 省略
 九、鮮人騒ぎ浦安に避難 省略
 十、食糧の買入れ 省略
 十一、焼跡の視察 省略
 十二、翁の初孫 省略
 十三、震災後の計劃 省略
 十四、バラックで榮業開始 省略
 十五、東京金魚業者の大奮闘 省略
 十六、兩組合の合併

  • 大正十三年に東京金魚商組合と東京金魚種鯉販賣購買組合が合併し、有限責任東京金魚種鯉販賣購買組合となった。

 十七、彌三氏の結婚 省略
-----メモ-----
第十一章メモ
 魁より始めよ=遠大な計画も、まず手近なところから着手せよ
 穎悟=えいご 非常に賢いこと。
 伉儷=こうれい。「伉」も「儷」も、つれあいの意=夫婦
 贏ち=かち
 辨=ベン、ヘン、わきま・える

第十二章メモ
 隻手=片方の手。片手。

第十三章メモ
 慥に=たしかに
 偖て=さて
 蒲柳=ほりゅう。か弱い体質、体質が弱いこと。
 彌=ミ、ビ、や、いよい・よ
 擔=かつぐ、になう
 醵=キョ、ゴ

2012年7月11日 (水)

「秋山吉五郎翁」 吉澤寛夫 昭和5年 その5

六、社會的活動
 一、組合の成立
  東京金魚商組合 明治三十年
  頭取 深川區西町 先代高橋鐵二郎
  副頭取 本所區北二葉町 三浦淸次
  組合員 六十名
  明治三十一年は會頭 鈴木磯吉、副會頭 服部倉治郎

 二、初めての品評會
  明治三十一年 上野で養魚水産品評会 村田保會長

 三、事業の擴張 省略
 四、舞坂の養鼈所 省略
 五、生魚輸送の研究

  • ・・・・茶碗では熱くて吸えない物でも塗り椀ではそう熱く感じない、惣じてどことなしに柔か味がある・・・・

    タナゴの輸送にも触れている

 六、價格の統一
  明治四十年に東京金魚商組合の頭取になる

 七、社會的進出と廣告 省略
 八、地所の買ひ入れ 省略

七、龍谷家
 一、夫人の親父逝去 省略
 二、石太郎氏の努力 省略
 三、龍谷家一門 省略

八、新種類の創成
 一、研究の動機
  秋錦の作出動機が書かれている

 二、秋錦と命名

  • ・・・・其艶麗なる姿は水淸き秋の池上に紅葉を散らした如き美しさであると云ふので、夫れに秋山の秋を取って秋錦と命名せられた・・・・・

 三、松原氏命名の記
  名秋錦説 明治三十五年十月八日

 四、農大委托試驗場
  外山龜太郎博士、石川千代松、箕作佳吉博士の話

 五、斯業の發達
  キャリコ、秋翠、朱文金についての話、命名者

 六、翁の深き造詣 省略
 七、井上束京府知事の視察
  井上友一
 八、農商務省嘱托 省略
 九、容易に得難き研究資料 省略
 十、試驗場中止と國立試驗場 省略

-----メモ-----
第六章メモ
 六ケ敷い=むずかしい 六借
 嚆矢=こうし 物事のはじめ 嚆=さけぶ

第七章メモ
 啀む=いがむ
 軈て=やがて
 抂げる=まげる
 墺国=オーストリア
 碩學=学問が広く深いこと
 巨擘=仲間のうちで特に優れた人。巨頭
 誘掖=ゆうえき。力を貸して導いてやること。

2012年7月 9日 (月)

「秋山吉五郎翁」 吉澤寛夫 昭和5年 その4

二、翁の少年時代
 一、翁の出生
  明治元年7月13日

 二、翁の入學
  当時の教育の様子、寺小屋文智堂

 三、親父の逝去
  感電死

 四、船大工の徒弟 省略
 五、正直の決心 省略
 六、翁の病氣と先天的趣味 省略

三、翁の靑年時代
 一、秋山家に養子

  • ・・・・南葛飾郡砂村大塚新田秋山佐太郎氏は服部家とは商賣取引から懇意の間柄で・・・・

 二、秋山家
  維新後の戸主の特典、養子の理由

 三、白魚の買出し
 四、生きた教訓
  白魚 1チョボ(二十匹)の値段掲載
  大工、土方、植木屋、農家の手伝いの日当記載
  金の勘定、疋勘定を掲載

 五、金魚屋を始む
  砂村(砂町)から千田町への経緯
  堀口磯吉氏

 六、其當時の利益
  並物、小琉、小鯉、二寸鯉、三歳琉、和金三歳二十匁、
  和金下物の金額を掲載

四、人格の修養期
 一、堅い決心 省略
 二、翁と高利貸の婆さん 省略
 三、翁と勝負事 省略
 四、先代高橋翁の教訓
  卸先の高橋鐵二郎氏の話

 五、川並の喧嘩 省略
 六、翁の自省と實行 省略
 七、翁と其容貌 省略

五、困厄時代
 一、夫人を迎ふ
  龍谷家から

 二、翁の奮闘
  この時期の金魚の値段を掲載

 三、養魚場擴張
  養母の死

 四、翁の病氣 省略
 五、夫人の奮闘 省略
 六、販賣の方に努力
  米国への輸出 横浜の細田清重氏
  同業者 本郷の吉田新之助氏

 七、榮吾氏の出生 省略
-----メモ-----
第二章メモ
 許り=ばかり
 燹=セキ、キ、のび 野火のこと
 兵燹=へいせん 戦争による火災
 箴=シン、はり、いましめ
 輦=レン、てぐる
 轂=コク、こしき
 輦轂=れんこく 輦轂の下=天子のおひざもと。
     皇居のある地。首都
 束修=そくしゅう 入学・入門の際に弟子・生徒が師匠に対して納めた
     金銭や飲食物のこと。
 聟=むこ
 盡=ジン、シン、つくす
 囑目=人の将来に期待して、目を離さず見守ること。
 哺=はぐくむ
 帛=ハク、ビャク、きぬ
 齎す=もたらす
 佛に=ほとけに
 敏い=さとい
 怎=シン、ソモ、いかで
 怎麼=そもさん
 捗しい=はかばかしい
 蘖=ゲツ、ゲチ、ひこば
 萠蘖=ほうげつ 種子から生じた芽と切り株から生じた芽。

第三章メモ
 粉糖三合の假令=ふんとう けりょう
 外萬藾死=??らい?
 利鎌の月=とがまのつき 三日月よりももっと研ぎすまされた
        月のこと
 紅燈綠酒=こうとうりょくしゅ 歓楽と飽食に明け暮れること。
 木強漢=ぼくきょうかん 一徹な男。武骨な男。

第四章メモ
 譚って=はなし?
 くさかんむり+孚=フ、ヒョウ、うえじ
 餓(くさかんむり+孚)道=がびょう 餓死した人
 空々寂々=くうくうじゃくじゃく 何も考えないさま。
 偖=さて
 罩=こめる
 至誠=きわめて誠実なこと。
 搖籃=ようらん 物事が発展する初め。

第五章メモ
 琴瑟相和す=きんしつあいわす 夫婦の仲がきわめて
          むつまじいことのたとえ 

2012年7月 7日 (土)

「秋山吉五郎翁」 吉澤寛夫 昭和5年 その3

題字
 澁澤榮一、牧朴眞、伊谷以知二郎、岡村金太郎

序文
 阪谷芳郎、村上隆吉、石川千代松、下啓助、日暮忠

  •  日暮氏の序文に秋錦、朱文金、金蘭子、鯉の秋翠、キャリコの経緯が書かれている。
    ・・・・秋山氏の店は明治十八年の創業であって、高橋氏や鈴木氏に比べては古き店とは云へぬが、・・・・

はしがき

  • ・・・・昭和二年の暮れに翁の苦心を書いて呉れとのことで・・・・腹案が纏りませんで、昭和四年の夏になって無理に荒筋だけを書いて浦安の養魚場で、お目にかけて・・・。
    ・・・・幸いにして翁の人格を傷つけることがなければ私の満足する處であります。

                                         昭和五年二月 筆者記す

口絵 白黒写真

  • 肖像写真、大日本水産會功績表彰状、澁澤子爵の東京會館招待會、澁澤子爵より寄贈の軸、實父 服部五郎兵衛翁、養父 秋山佐太郎翁、秋錦命名の執筆、創業当時の模様、農科大學委托試驗場、區劃整理後の模様、震災直後の模様浦安町字猫實養殖所

---ここから本文---

一、服部家
 一、後本丸御用
  所在、江戸時代からの家柄の話
   鮒屋五郎兵衛

 二、親父五郎兵衞氏
  兄や従兄の話

 三、鼈養殖の動機
  スッポンとの出会いなどの話

 四、始めての産卵
  明治8年のこと

-----メモ-----
序文メモ
 云爾=うんじ 上文の内容を強調指示する語。「これにほかならぬ」の意。
 聲=ショウ、セイ、こえ 声
 聲名=せいめい よい評判。ほまれ。名声。
 夙=シュク、スク、つとに
 將た=はた
 裨=ヒ、ビ、おぎな、たすけ
 裨益=ひえき 役立つこと
 辭=シ、ジ、やめる、ことば
 蕪辭=ぶじ 乱雑で整っていない言葉。
 隨って=したがって
 聊か=いささか

第一章メモ
 袤=ボウ、ム
 廣袤=こうぼう、廣は東西、袤は南北 よって面積
 爾=ジ、ニ、なんじ、その
 徒爾=とじ むだ、無益であること
 呱=コ、ク
 呱々=ここ 生まれたばかりの赤ん坊の泣き声
 櫛=シツ、シチ、くし
 櫛比し=しっぴし 隙間なく軒を並べ
 殷賑=活気があってにぎやかなこと
 榛木=ハンノキ
 扣=ひかえ
 舊家=きゅうか=旧家
 孩子=ちのみご
 覊=キ、おもが、たづな
 覊絆=きはん=きずな
 炯=ケイ、ギョウ、あきら
 炯眼=けいがん 偽・本質を見抜く鋭い眼力。
 措=ソ、ス、おく
 恁=ジン、ニン
 麼=マ、バ
 恁麼=いんも その、この、そんな、こんな、そのように、このように

2012年7月 5日 (木)

「秋山吉五郎翁」 吉澤寛夫 昭和5年 その2

目次の続きです。 

九、美術的鑑識眼と新種類 

十、大洪水と大海嘯
  一、關西地視察
  二、四十三年の大洪水
  三、四十四年の大海嘯
  四、郡山より輸入
  五、養父の逝去
  六、事業の擴張
  七、家屋の新築
  八、大正六年の大海嘯
  九、涙と血の試驗場閉止
  十、大正七年の高潮 

十一、奮鬪の効果顯はる
  一、熱誠と努力の結果
  二、營業を榮吾氏に譲る(翁の教育方針)
     大膽で細心、自己に依頼せよ、魁より始めよ、使用人に
     同情せよ
  三、榮吾氏夫人を迎ふ
  四、電氣局の買収
  五、養魚場の大擴張
  六、砂町の養殖場
  七、家屋の引き移し
  八、取引の改善 

十二、服部倉治郎氏の死去
  一、養魚界の大恩人
  二、服部家一門の繁 

十三、大震災
  一、孝女佐々木トクニ
  二、孝女の表彰式と大地震
  三、避難よりは先防火
  四、翁の宅は避難所
  五、砂町八幡境内に避難
  六、一同無事
  七、翁一族の天佑
  八、榮吾氏の態度
  九、鮮人騒ぎ浦安に避難
  十、食糧の買入れ
  十一、焼跡の視察
  十二、翁の初孫
  十三、震災後の計劃
  十四、バラックで榮業開始
  十五、東京金魚業者の大奮闘
  十六、兩組合の合併
  十七、彌三氏の結婚 

十四、博覽會ご共進會
十五、翁の公生涯
  一、千田町町會
  二、在郷軍人會名譽會員
  三、千田神社
  四、川南小學校
  五、誠意の結晶
  六、多忙を極めた震災後
  七、東京放送局にて放送 

十六、馬場先門外御濠へ放魚
  一、蠑?さへ居らぬ濠
  二、小田淸吉氏の盡力
  三、放魚式場
  四、放魚式
  五、澁沢子爵と翁
  六、翁の子孫の爲め
  七、各新聞の報道 

十七、大日本水産會より表彰
十八、翁の罹病と終焉
  一、翁の病氣
  二、病根不明
  三、那須温泉行き
  四、十二指腸潰瘍と膽嚢炎
  五、大悟徹底
  六、島田藤吉氏と對話
  七、病症の增進と遺言書
  八、終焉近く
  九、翁の臨終 

十九、埋葬
  葬儀
  弔辭
二十、秋山家年譜

本文
奥付

-----メモ-----
昭和5年=1930年

2012年7月 3日 (火)

「秋山吉五郎翁」 吉澤寛夫 昭和5年

「秋山吉五郎翁」 吉澤寛夫 昭和5年3月20日發行 布張り 菊判 P.166 非賣品

 本書は金魚界ではあまりにも有名な秋山吉五郎氏の伝記である。
氏の業績は金蘭子、朱文金、キャリコ、秋錦の作出者であり、また、大正5年には熱帯魚のソードテールを初めて輸入した。

 著者は元時事新報社の記者との事。
 この当時の本は漢字が読めない人が多くいたのか、割とフリガナがなされているか、平易な言葉やひらがな多用なのが普通であるが、本書は著者の本職が新聞記者なためか、難しい漢字や言い回しが多用されて読むのに苦労する。こんなときはインターネットと手書きパッドは有難いツールと感じる。

 本書は非売品のためか古書界にはほとんど出回りません。

 秋山吉五郎氏の著作も1点紹介しておきます。
「金魚とその飼ひ方」 白木正光/秋山吉五郎 共著 大正15年 文化生活研究會

 

【構成】
題字
序文
口絵
目次
 一、服部家
  一、後本丸御用
  二、親父五郎兵衞氏
  三、鼈養殖の動機
  四、始めての産卵 

 

 二、翁の少年時代
  一、翁の出生
  二、翁の入學
  三、親父の逝去
  四、船大工の徒弟
  五、正直の決心
  六、翁の病氣と先天的趣味 

 

 三、翁の靑年時代
  一、秋山家に養子
  二、秋山家
  三、白魚の買出し
  四、生きた教訓
  五、金魚屋を始む
  六、其當時の利益 

 

 四、人格の修養期
  一、堅い決心
  二、翁と高利貸の婆さん
  三、翁と勝負事
  四、先代高橋翁の教訓
  五、川並の喧嘩
  六、翁の自省と實行
  七、翁と其容貌 

 

 五、困厄時代
  一、夫人を迎ふ
  二、翁の奮闘
  三、養魚場擴張
  四、翁の病氣
  五、夫人の奮闘
  六、販賣の方に努力
  七、榮吾氏の出生 

 

 六、社會的活動
  一、組合の成立
  二、初めての品評會
  三、事業の擴張
  四、舞坂の養鼈所
  五、生魚輸送の研究
  六、價格の統一
  七、社會的進出と廣告
  八、地所の買ひ入れ 

 

 七、龍谷家
  一、夫人の親父逝去
  二、石太郎氏の努力
  三、龍谷家一門 

 

 八、新種類の創成
  一、研究の動機
  二、秋錦と命名
  三、松原氏命名の記
  四、農大委托試驗場
  五、斯業の發達
  六、翁の深き造詣
  七、井上束京府知事の視察
  八、農商務省嘱托
  九、容易に得難き研究資料
  十、試驗場中止と國立試驗場

 

目次はさらに続く。
-----メモ-----
昭和5年=1930年

関連書

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