「實驗 金魚の愛玩と飼育法」 松井佳一 弘道閣 昭和11年 その7
(ヲ) わとうない (和唐内)、わりう(和琉)
明治初年から知られていた。
(ワ) しうきん (秋錦)
明治30年に松原新之助氏が命名。
(カ) きんらんし (金蘭子)
- 松原新之助氏によれば先代の秋山吉五郎氏が、明治35,6年頃、「りうきん」と「らんちう」とを交雜したものの内約1/3は全く背鰭のないものが出来たのに命名した。
著者の遺傅學の實驗によれば、「わきん」と「らんちう」との交雜によって容易に出来る。
(ヨ) しゆぶきん (朱文錦)
- 先代の秋山吉五郎氏によれば、「さんしきでめきん」と鮒尾の「わきん」と「ひぶな」との雌雄を三種混合して自由交配せしめて得た魚兒の内で雜色でモザイツク透明鱗性のもので長い鮒尾のものに對して明治33年松原新之助氏が命名したものであるという。
しかし松原氏によれば「さんしきでめきん」と「わきん」とを交雜せしめたものであると記されて居る。
著者の實驗によれば、「さんしきでめきん」と鮒とを交雜した一代雜種で多數に出現する。
(タ) キヤリコ
- 先代の秋山吉五郎氏が「さんしきでめきん」と「りうきん」とを交雜して作った、モザイツク透明鱗性で普通目で各鰭の長い一代雜種に明治45年に米国人が命名した。
(レ) あずまにしき (東錦)
- 「をらんだしゝがしら」と「さんしきでめきん」とを交雜したものであるから「キャリコをらんだ」である。
大正13年に豊橋市の金魚屋戸田善次郎氏が作って改良を志して居たし、又外山亀太郎博士は明治45年の實驗で交配せられた。
「あずまにしき」なる名は横濱の加藤金藏氏が苦心して作った雜種に東京の金魚商高橋鐵次郎氏が昭和6年秋に命名した。
(ソ) ひろにしき (弘錦)、こうきん(弘金)
- 「つがるにしき」は肉瘤の發達遅くて色が出るのも3年魚以上であるので觀賞に遺憾の點が多いといふので、弘前市の宮本喜三郎氏が「つがるにしき」と東京の「らんちう」とを交配して明治41年に生成し、再び昭和2年に優品を産出した。
宮本氏の經驗によれば「らんちう」の雌に「つがるにしき」の雄を交配したものが優品が多く出るといふことである。
(ツ) 「わきん」と「ふな」の雜種 「ひぶな」の一種
- 體色は雌に「わきん」を使用したときは褪色して赤になるものが多い傾向にある。
(ネ) 「りうきん」と「ふな」の雜種 鐵魚の一種
- 雌に「りうきん」を使用したときは褪色して赤になるものが多い。
この雜種の褪色性のものは米國でHago Mullertt氏が苦心して固定さしたというコメットと酷似している。
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