「實驗 金魚の愛玩と飼育法」 松井佳一 弘道閣 昭和11年 その6
ここから本文
第1 緒言
省略
第2 金魚の種類
1,支那から傳来の明白な品種
わきん、らんちう(卵蟲)、りうきん、でめきん、ちょうてんがん
2,日本で出来た品種
(1)原型から分離淘汰したもの
- ぢきん、なんきん、とさきん、てつおなが、おほさからんちう、らんちう(蘭<魚壽>)、やまがたきんぎょ、つがるにしき
(2)交雑によって作ったことの明白なもの
- わとうない、きんらんし、しゅぶんきん、しうきん、きゃりこ、ひろにしき、あずまにしき
3,傳来の不明瞭なもの
おらんだしゝがしら
(イ)わきん (和金、和錦)、やまと
- 昭和2年の春透明な特別の鱗の一種の變種を得て繁殖さして居る。この透明な鱗を網透明鱗性と称し、それをもって居る金魚を朱砂(しゅしゃ)と命名することとした。
(ロ)りうきん (琉金、琉錦) をなが、ながさき
省略
(ハ)らんちう(卵蟲、蘭<魚壽>)、まるこ、ちょうせん
a,らんちう(蘭<魚壽>、金<魚壽>)
b,おほさからんちう(大阪らんちう)
c,なんきん
島根懸穴道町の佐藤寛一氏が優品を飼育している。
(ニ)でめきん (出目金、出目錦)、支那金、支那金魚
明治28年頃に支那廣東産からの輸入が我國のはじめである。
さんしきでめきん(三色出目金)、キャリコ出目金
- 鱗が透明鱗性であって、殊に普通鱗と透明鱗が混在するモザイツク透明鱗性のものが多い。※モザイク
(ホ) ちやうてんがん (頂天眼)、でめらんちう
- 明治35,6年頃に支那廣東産30尾を横濱へ輸入したのが我國のはじめで、大正6年頃に一度絶滅して、大正末から昭和のはじめに支那から輸入した。
(ヘ) ぢきん
- (地金)、ぢをう(地王)、ぢきんぎょ(地金魚)、しやち、名古屋金魚、愛錦、くじやく(孔雀)
名古屋の增田冬輔氏の研究で其の沿革が分明したことが多い。
(ト) とさきん (土佐金)
省略
(チ) てつをなが (鐵尾長)
省略
(リ) をらんだしゝがしら (和蘭獅子頭)
省略
(ヌ) つがるにしき (津輕錦)、ぢきんぎょ、きんりん(金鱗)
- 「地金魚」と呼んでいたが昭和2年頃から「つがるにしき」と呼ぶようになった。
(ル) やまがたきんぎょ (山形金魚)、ふたつをきんぎょ
省略
« 「實驗 金魚の愛玩と飼育法」 松井佳一 弘道閣 昭和11年 その5 | トップページ | 「實驗 金魚の愛玩と飼育法」 松井佳一 弘道閣 昭和11年 その7 »
« 「實驗 金魚の愛玩と飼育法」 松井佳一 弘道閣 昭和11年 その5 | トップページ | 「實驗 金魚の愛玩と飼育法」 松井佳一 弘道閣 昭和11年 その7 »
コメント