« 「ハスと共に六十年」 大賀一郎 アポロン社 昭和40年 | トップページ | 「ハスと共に六十年」 大賀一郎 アポロン社 昭和40年 その3 »

2009年8月24日 (月)

「ハスと共に六十年」 大賀一郎 アポロン社 昭和40年 その2

口絵
 カラー写真 もごとに花をひらいた2000年ハス
 白黒写真 自身
 白黒写真 はじめて花をひらいた古代ハス
 白黒写真 ありし日の大賀博士夫妻
 白黒写真 「大賀ハス」発掘碑碑文

はじめに

私がハスに心を傾けてからは、もう六十年にもなるであろうか。また、私が大正六年に満州にいって千年の古ハスの実に接してからでも四十七年になる。あるときには、人生五十才からだといってみたりもしたが、私が満州から帰り、東京上野不忍に、初めて中国の唐制をまねて七月二十四日に観蓮節を再興し、伝説あるハスの開花音の有無を論じあった日からでも、ことしは三十年になる。・・・・・・・

        昭和三十九年五月  大賀一郎

ここから本文

ハスの話
 ハスの思い出とハスの会 昭和37年6月「古典と現代」
  ハスの研究のはじまり 紅蓮と白蓮 開花音

・・・・・若い日に、東大で卒論にとりかかったある時、先生からハスの開花受粉のときから受精するまでの時間をはかってみるようにと、いわれたのが、そもそも、私がこの植物に手をつけたはじめであろう。・・・・・

  ハス行脚と観蓮会 開花無音

  東京観蓮会の変遷
  開花音論争 無音無声

そもそも、ハスの開花音があるなどといい出したのは、いつごろからかわからなが、・・・・・やっと私は徳川中期の宝暦三年刊行の「心のしおり」という俳書に資料を得た。
・・・・私は今日まで、開花無音で戦ったが、執念深い日本人という日本人には、とてもまだ勝てない。・・・・・この花の咲くときに、音などというものは断じてないといい切れる。

  ハスの花の咲き方 開花音批判
  わが国の観蓮会 東京・千葉・岡山・府中その他

 ハスの話 昭和38年7月16日東京、淑徳高等学校での講演
  はじめに
  (座談会)妙蓮・ハス糸織り、当麻曼陀羅について
    大賀博士。服部先生・静永先生・生徒

 二千年ハス(「大賀ハス」)の発掘について
  千葉市花園中学校における「大賀ハス」発掘碑完成記念講演
  ※ここが一番面白いかもしれません。

  二千年ハスはこうして発掘された 高野忠興
  二千年ハスの発掘をめぐって 大賀一郎

 ハスは平和の象徴なり 昭和39年9月「浅草寺」

 妙蓮のつぼみ 昭和33年10月「文芸春秋」
  加賀金沢の持妙院の妙蓮が府中の自宅に来たときの話し

 妙蓮のつぼみその後 昭和32年11月「自警」

おりにふれて
 救いと新生 昭和35年10月8日「キリスト新聞」

 およそ偉大なるもの 昭和35年7月2日「キリスト新聞」

 小なる誤り、大なる誤り 昭和35年8月6日「キリスト新聞」

 「話せばわかる」の碑 昭和35年11月12日「キリスト新聞」
  同郷の先輩犬養木堂翁を思う

 垣根を越えたハスの新池 昭和32年9月「朝の思想」

 このごろの思い
  日本のルネッサンス 昭和35年9月10日「十日町新聞」

 ケヤキ 昭和31年12月25日「毎日新聞」

 芦花公園にきずがつく 昭和33年1月8日「朝日新聞」

« 「ハスと共に六十年」 大賀一郎 アポロン社 昭和40年 | トップページ | 「ハスと共に六十年」 大賀一郎 アポロン社 昭和40年 その3 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 「ハスと共に六十年」 大賀一郎 アポロン社 昭和40年 | トップページ | 「ハスと共に六十年」 大賀一郎 アポロン社 昭和40年 その3 »

ブログ村

  • にほんブログ村 観賞魚ブログ 熱帯魚へ
無料ブログはココログ