「金魚とその飼ひ方」 白木正光/秋山吉五郎 共著 大正15年 文化生活研究會 その4
第4章 外人の日本金魚觀
- 「日本の金魚」の著者エム・スミス氏は著書中に次のように述べている。
「日本人は金魚の熟練な天才的飼養家とも云うべく、彼等の飼養法は独創で巧みで、しかも最も成功したものである。即ち彼等が長年月の間につくり上げた金魚は、實に驚くばかり綺麗な、たほやかな情趣の裕なものである。」
第5章 日本の金魚史
何時日本に來た
省略
金魚傳來の二説
- 1,この魚たるや何の頃より本朝に渡來せしや、其の故を知る者曾てきかず、遺憾ここに年あり。近日或る翁曰く、人皇百五十代後柏原院の御宇文亀二年正月二十日始めて和泉國堺の津に渡來し、時人珍魚なりとして來由を記録せしに、何れの秋か亡失し畢ぬ。(※おわぬ)(金魚愛玩経験録)
2,大倭本草に昔は日本に之なし、元和年中異域より來たる。今世に飼ふもの多しといへり。(嬉遊笑覧 ※きゆうしょうらん)
其の批判
省略
元禄七年町觸
- 「江戸中金魚銀魚所持致す魚の數委細に書き付差出すべく候旨持候者候ても苦しからず候間遠慮なく有體に書付出すべき旨仰せられ度候」
下谷池の端鎭鍮屋(したや いけのはた しんちゅうや)
- 「延寶五年の印本「江戸雀」に「下谷池の端仲町といふあたりは両かた町とはあれど、今の如く家屋たちつづきたる所にはあらず、植木屋などありし様なり。此所に鎭鍮屋といふ金魚屋あり。是金魚屋とよぶものの初めなるべし。」
西鶴置土産
- 「黒門より池の端を歩むに端鎭鍮屋市左衛門とてかくれもなき金魚銀魚を賣るものあり、庭には生舟七八十も並べて溜水清く、浮藻を紅くぐりて三つ尾はたらき泳ぐなり。中にも尺にあまりて鱗の照りたるを金子五兩、七兩に買もとめてゆくを見て、又遠國にない事なり。是なん大名の若子さま、御慰になるぞかし。・・・・・」
金魚の狂言
省略
町奴の金魚組
省略
町娘と金魚鉢
歌麿の錦絵の説明
東源氏皐月
一壽齋國貞の錦絵の説明
角玉屋若紫(※すみたまや)
鳥高齋榮昌の錦絵の説明
今様見立箱庭人形(※いまようみ)
一勇齋國芳の錦絵の説明
金魚屋の繪
省略
馬琴の日記
省略
第6章 金魚の生物史
金魚の祖先
省略
進化の理法
ダーウヰンの淘汰説とド・フリースの突然變化説
住所の廣狭による變化
省略
金魚の尾
省略
變化の不思議
省略
金魚の系圖
省略
鮒の容姿
省略
鮒の習性
省略
金魚各部の名稱
- 金魚は身體各部にそれぞれ固有名詞があり、例へば口をすき口、胸鰭を向えら、腹鰭を土ずり、臀鰭を揖鰭、尾と體のつけ根を尾筒、若しくは金筒と称する。
背鰭
- 中庸の大きさを「半巻」と呼ぶ。大部分消失してちょっぴり残って居るものを「糸つまみ」、糸つまみよりいくらか大きい背鰭を「中つまみ」(※なか)、それより一層大きく半巻の半分ぐらいのものを「半鰭」、背鰭が中断して離ればなれに二個あるものを「二つ鰭」、背鰭の前後が長く、半巻より大きいものを「鮒背」と云っている。
尾鰭
省略
色彩
省略
變色
- 東京観魚会の定むるところに従って、大體區別すると
赤の部 金色、丹色、紅、猩々
白の部 純白の者を銀色と云う。大體は黄色を加味する。
更紗の部 赤白交る斑を更紗と云う。多赤更紗、多白更紗、腰白、背赤
頭模様の部 面被り、白面、丹頂、白頂、兩奴、口赤
黒の部 鐵色、虎の部 斑黒
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