「金魚とその飼ひ方」 白木正光/秋山吉五郎 共著 大正15年 文化生活研究會 その5
第7章 金魚の種類
1,和金
省略
2,琉金
一名長崎又は長尾と云う
3,金鋳(蘭鋳)
- 又の名を朝鮮もしくば丸子と云う。関西のらんちゅうには普通この獅子頭がありません。(※この当時の話)
魚の良否識別の大略を觀魚会の定むる處によって誌すと、「頭はなるべく口先きより頬尻までの間長くして、厚みあるものがよろし。背部は幅廣く、頭の付根より弓形に漸々(だんだん)に上り、中央より又漸々に下って其間尾筒より長いものがよいとされる。又尾筒はなるべく太く、背の形に従ひ、程よく尾のつけ根まで漸々に下り、その丈け背より短いものがよい。尾は柔らかにして尾心曲らず、上らず、下らず、泳ぐ時は閉み(つぼみ)、止る時は直に圓の四分の一位に開くものをよしとする。それから腹部は左右同様に張出したものがよく、揖鰭は尾の下陰にかくれて外に現はれないものがよろし。」
4,オランダ獅子頭
- 琉金と金鋳との間に出来た金魚。
今より七十年餘年前の天保年間に、大和の郡山附近に初めて見出された種類である。又、斑の出たのは最近二三┼年以来の事です。
5,出目金
- 日清戦争後初めて支那から輸入された。それで一名支那金の稱があります。
6,出目らんちう
元産地は支那で、明治45年頃初めて来た。
7,和唐内
- 和金と琉金の混血兒(あいのこ)
初めて公に現れたのは、明治16年開催の魚類展覧會の折りである。
8,秋錦
- 金鋳とオランダ獅子頭との間に出来た金魚に、故水産講習所長松原先生が秋の錦繍、即ちあの眼も醒めるやうに美しい秋の紅葉を連想して名けたゆかしい名前。
この金魚は明治28年頃、東京及び大阪の兩地に、期せずして同時に現れた。
9,朱文錦
和金、出目金及び鮒を交互に交配して出来た金魚。
その名は故松原先生がその色に因んで命名した。
明治32年頃創出された。
10,金蘭子
- 和金と金鋳との間に出来た金魚。出来てからまだ廿年位しかならない。
金蘭子の名は金襴の様な深みのある美しい色彩をしている金魚と云う意味で、故松原先生が命名した。
11,鐵尾長
以前は関西地方、殊に名古屋附近で飼育されていた。
琉金の一變種で、體形はほぼ琉金そのままと云っていい。
12,孔雀尾
名古屋附近では以前から飼育されていた。
13,キャリコ
- 琉金と出目金の混血兒。
明治期の末頃出来た。
キャリコの名は外人が更紗のような金魚と云う意味からキャリコキャリコと呼んでいたのが何時か名前となった。
14,出目秋錦
出目金と秋錦との間に出来た金魚。
出来てから廿年にならない。
15,琉金獅子頭
琉金からごく稀に現れる。
16,頂天眼
支那産の金魚で、支那では朝天眼と云っている。
總説
- 16種の金魚系圖が掲載され、ここまで解説された16種の番号が振られている。
-----メモ-----
天保年間=1830~1843
日清戦争=1894年(明治27年)7月から1895年(明治28年)4月
明治45年=1912年=大正元年
明治16年=1883年
明治28年=1895年
明治32年=1899年
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