「吾輩はらんちゅうである」 大郷房次郎 昭和46年 緑書房 その2
口絵 白黒写真
- 石川翁と大郷氏の写真
観魚会の昭和10~14年の大関、立行司(1尾)が1ページに2尾、合計8尾
観魚会の番付表 第43~50回の親魚と当才(全部ではない)
大郷氏の家族他
序
大郷君が観魚会の番付にのったのは、昭和2年第43回品評大会で、愛魚”天晴(あっぱれ)"が立行司をとったのが最初である。・・・・・
丁度自宅が、宗家の近くにあったので、暇を見つけては訪れ、先代の石川亀吉翁に教えを受け、可愛がられてもいた。・・・・・
本書の中に出てくる先生というのが、この石川亀吉翁であり、悪友のYは当時高速度写真で鳴らした築地の山崎君、Nは私のことである。
・・・・・それまで一般に出廻っていた金魚の飼育書といえば、明治18年に出された「金魚愛玩経験録」(常盤木秀慶著)と前田閑亭の著書ぐらいしかなかったので、非常に皆さんから喜ばれ、手伝った私達も得意だった。
・・・・・
当時のこと見知っている人もすっかり少なくなった今日、本書がこの様な立派な本となって生まれ変わることは私にとっても大変な喜びである。大郷君もきっと喜んでくれるだろう。・・・・・・
昭和46年10月3日 山崎節堂
著者序
かつて夏目漱石先生が「吾輩は猫である」と題して、・・・・・
・・・・・蘭鋳を造り上げんと努力しつつ有る事は、立派な芸術であらねばならぬ。斯る道程に有る我々が、蘭鋳の真理を聞く事は最も興味ある問題である。然らば蘭鋳は我々人間共に向かって何を要求しているか、何を教えるか、どんな風刺的言辞を弄するか、・・・・・初心者、老巧者を問わず参考の一助ともなれば、蘭鋳の分際で生意気な!!等とお叱りを受ける事も無く済むであろう。
(著者しるす)
-----メモ-----
- 金魚秘訣録 (1958年) 山崎 節堂 (著), 安達 喜之 (著)
山崎節堂
老舗鰹節問屋「中弥」(にんべん、八木長、近甚等)を継がず書道家になった。
(以上「鰹節屋の昔話」より引用)
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