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2008年11月 6日 (木)

「フィッシュマガジン」 昭和40年11月号 通巻2号 その2

※海水魚の記事は省略しています。

表紙
 エクソドンの可成り良い写真です。

  • 1960年に我が国へ輸入された。真ん中に自分の縄張りを取り、他の魚をそばに寄せ付けない。と解説されている。

    ※この魚最近見ないけど、輸入されているのかな。一部ではスケールイーターとも言われているようです。

ふりそで金魚 写真と文/斉藤岩蔵 (前山形県出納帳)

  • 山形金魚(別名 荘内金)の改良型。近年私が命名した
    山形金魚はコメット型で、色彩は赤と白混じり、尾はフナ尾が特徴。

    ふりそで金魚は山形県東田川郡余目(あまるめ)町大野部落の故阿部治郎兵衛氏が、県の水産技師である故明石博次氏の指導を受け、昭和10年頃作り上げたものである。
    優秀型の基準は、体色は濃い緋色で白い部分が少ないこと、尾は全長の5割以上に伸び白一色。
    水槽より池で錦鯉と共に飼って映える。

ジュルパリ 写真と文/牧野信司

  • この魚が紹介されたのは1840年、日本に輸入されたのが1961年である。
    この他にも同属でレッドジェオファーガス(クピト)、ブラジリエンシスも輸入されている。

神戸グッピーコンクール
 ファンテール部門 特等は森田和子
 ベールテール部門 特等は和田徳蔵
 写真は白黒でファンテール特等の写真は小さい

座談会 熱帯魚の魅力を語る 7ページ

  • 平林たい子(作家)、皿井長四郎(東京慈恵医大講師)、小田原利光(小田原甲殻類博物館館長、医者)、木村 重、司会/藤井安雄(安井病院長)

 ※熱帯魚の歴史が窺えるので、少し長めに引用します。

 (司会)

  •  熱帯魚が銀座の千疋屋に出たのが、昭和のたしか5,6年だと思う。日本に入ってきたのは、秋山吉五郎が大正5年にソードテールを最初に入れた。次いで大正7年にグッピーが来た

    ぼつぼつそろい出したのが昭和3年ごろで、秋山吉五郎さんの他、広瀬巨海さんが草分けであった。

    昭和7年ごろ松平公爵がエンゼルを孵化し、ベタが稲葉子爵であった。華族では徳川さん、鷹司さん、金持ちでは三井、動物園協会理事の斉藤省三さんも当時からです。

    文献としてはドイツのが主でしたが、アメリカのは昭和7年になってインネスが「ザ・アクアリウム」と言う雑誌を発行し、それから「エキゾチック・アクアリウム・フィッシュ」が1935年に出た。

    鷹司信敬さんは「熱帯魚」を昭和7年7月出したが、5月には白木さんが「金魚と熱帯魚の飼い方」を出し、序文に、熱帯魚の書物は、日本では自分が最初だと言っている。

    それから、京都大学の宮地伝三郎先生の校閲で、野尻(※吉津良恭の間違い)という、水産関係ではなくて園芸の人だと思うが、「熱帯魚の飼育と観賞」をアルスから出した。

    戦後は昭和29年に誠文堂から「熱帯魚の飼い方の手引き」を、牧野信司さん、石川貞二さん、緑鱗荘の広海さん、皿井さん、そして私(※安井)で出した。

 (木村)

  • 当時、上海の総領事館にいた、今のフリスコ熱帯魚店のご主人や・・・・・

 (司会)

  • 芦屋には古い熱帯魚屋さんで、辻本がありますね。

 (皿井)

  • 焼け出されて芦屋に来ました。もとは大阪にあった。

 (司会)

  • 大阪駅の裏側に売店があって。

 (皿井)

  • 芦屋とは兄弟で、そのおやじが天王寺の動物園のすぐ横の有名金魚屋です。

 (皿井)

  • サワガニに赤いのと空色とありますね。

 (小田原)

  • 静岡以西になると、だいだい色になり、箱根からこっちは全部黒いというか空色です。

-----メモ-----
西暦1916年=大正5年
西暦1930年=昭和5年
西暦1935年=昭和10年
西暦1954年=昭和29年

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コメント

詳しい引用有難うございました。
(国内最初の飼育書件裏付けが取れました)
松平候、鷹司氏、秋山氏、広瀬氏が活躍された頃
正に神代の時代のお話ですね

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