「重要淡水魚とその養殖」 大島正満 その4
第5章 泥鰌とその養殖
第1節 概説
- 戦前東京市民の消費した泥鰌の主産地は千葉、埼玉、茨城の3県で、特に千葉県の海上郡及び香取郡のものは一等品となっていた。
第2節 稲田利用の泥鰌養殖
- 最近トノサマガエルの脳下垂体ホルモン注射によって、生殖素の発育を促進せしむることや、人工孵化の方途も拓かれるようになったが、茲では稲田養殖法を叙説する。
1,養殖田とその設備
- 脱出が巧妙であるから、板囲いを水面上18~21糎出し、忍び返しをつけ、地中は30糎入れる。注排水には金網を設ける。
2,仔魚の放養と給餌
- 種苗としては前年に生まれた3~8糎のものを坪当たり150~600瓦である。
給餌量は最初は放養総重量の50分の1、盛夏の候には20分の1、秋季には50分の1にし、11月に止める。回数は最初は1日に1回、盛夏は3回、秋季は1回とする。
3,取揚げ
- 竹製の筌(ヅウケ、モジリ、モンドリ、ドウウゲ)を用いるが、1,2回で捕り盡すには金網製のタモで泥と共に掬い上げる。
4,雌雄の別
- 雌の方が雄より美味である。
1,雌雄の体長比は個体的なまたは地方的に著しい差違を示す。同一地方では雄魚は雌魚に比して体長が小さい
2,成熟雄魚の背鰭後方に於ける背鰭両側に体軸と平衡する左右各一条の膨脹線を認めるが、雌魚にはない。
3,雄魚の胸鰭は長く鎌状を呈し、先端尖鋭であるが、雌の胸鰭は短小で先端は尖鋭ではない。
第6章 カムルチーの養殖
第1節 概説
Ophicephalus tadianus
- ※今はChana属で台湾ではライヒーと呼ぶ。タイワンドジョウの学名はChanna maculataなので、この本の学名と異なっているが、tadianusも存在するようだ。
- 本魚は現時大阪市郊外の神崎川流域に繁殖しているが、これは大正5年に大阪府下池田町に居住していた某氏が台湾から輸入して池中に飼育していたのが、大雨で増水した際逸逃したのが事実らしい。
また、淀川筋にも本魚が繁殖し、琵琶湖に進入し盛んに増殖しているのは、明治39年に堺市で開催された第5回内国勧業博覧会の水族館に奈良県郡山の金魚商である小松錦鱗舎が「南洋の珍魚」という振れ込みで出陳したものの子孫が逸逃したものであると云う。
Ophicephalus argus
- カムルチーは支那ではヘイユーと呼んでいるが、カムルチーは朝鮮名である。満州ではライと呼んでいる。
戦前千葉県下の某農学校長が満鮮視察の際、観賞用に携え帰った数尾が大雨の際池中から逃れ出て利根川筋に入り、現今では霞ヶ浦に進出して大繁殖を遂げた。
- 朝鮮総督府水産試験場では、大正11年以来カムルチーの養殖試験を隧行して採卵孵化育成等に成功した。
カムルチーの養殖試験法は同時に台湾のライヒーにも転用し得ることが必然であると思意する。
第2節 カムルチーの養殖
1,飼育池と水質
- 水深1米以下、池辺は水面より30糎、水質は汚染されてない限り天然水で好適。
2,親魚及び産卵池
- 雌魚は腹部が軟らかく感ずるが、雄魚に於いては腹壁が肥厚しているから感触が異なる。
水面積1平方当たり0.5尾を収容する。
3,人工魚巣及び採卵(※イラスト有り)
- 直径3糎の竹若しくは3糎角の材木を使用して約60糎の正方形の枠を組み、枠の下面少しく内側に寄った所に沿うて長さ45糎の棕櫚毛を枠に直角をなすように垂れさせて固定する。
棕櫚毛は枠の内側に15糎、外側の方に30糎出るようにして、内側の毛は枠の水面に浮かべ、外側に向かった毛は枠の下に垂下するようにする。
これを浮かべ枠内に水草を入れて産卵させ、採卵は柄杓で掬い取る。
4,魚苗の育成
- 孵化後7日乃至10日で卵黄を吸収し、攝餌を開始する。
この時期共食いをするので、豊富に与え飽食させる必要がある。約1ヶ月で5~7糎になり魚苗として適当なものとなる。
5,魚苗放養後の注意
- 捕食をするので池替えをして大小選別する。
6,取揚げ
- 池水を落として、伏せ籠を用いて捕獲するのが良い。
-----メモ-----
瓦=グラム
筌=セン、うえ
盡=つ・くす、つ・きる、ことごと・く、ジン、シン
西暦1916年=大正5年
西暦1906年=明治39年
攝=セツ、ショウ、と・る
これでこの本の紹介は終わりです。
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