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2008年10月20日 (月)

「フィッシュライフ」 昭和44年2月 通巻20号 その3

中国金魚雑感 山下恒夫
 新中国金魚の渡来

  • 昭和32年、山口鉄郎氏は日中貿易促進のため北京で雷任民という大臣級の人と出会い、お土産の日本人形のお返しに中国金魚20種を贈られた。珍珠鱗、紫金(茶金)、望天魚(頂天眼)、水泡眼、銀魚等はこうして日本にやってきた。

     もう一つは、昭和36年、LT貿易の日本側当事者である高碕達之助氏が周恩来首相から土産にもらったもので、この金魚は浩宮様に差し上げたが、駄目にしてはいけないということで、三京水産社長の江原重利氏に渡された。

    江原氏は良いものを選んで都水産試験場に送り、自身もその後淘汰を行い、香港から新たに種魚を取り寄せたりして強健な品種を作り出した。

生きた化石・シベリアチョウザメ

  • チョウザメは昭和の初め頃までは石狩川や天塩川に産卵のため遡上するのが見られた。

    昭和38年日ソ漁業交渉の際、大日本水産会の高碕達之助会長とイシコフ漁業相との間でアユとチョウザメの交換の話がまとまり、43匹のチョウザメが贈られてきた。残念ながらこのチョウザメは全滅した。

    昭和39年に、シベリアのレナ河で採卵受精したふ化後3ヶ月、全長10cm、体重10gのシベリアチョウザメの稚魚471匹が贈られてきた。

    淡水区水産試験場や2,3の水族館に飼育が依頼されたが、千葉県市川市の斉藤進一氏宅に周囲58m、深さ1.8m、幅1.8mのドーナツ状の回遊水槽があったので昭和40年に30匹預かることになった。

やって来た魚達 連載2 ニジマス 木村 重

  • トラウト類は元来、サケマス科の一族で学問上はサルモ属という。サルモとはラテン語でサリレすなわち「跳ぶ」が語源。なお食塩をサルといい、ローマ時代には食塩を給料として渡したのでサラリー(月給)の字句ができた。

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コメント

これは私にとっては中国金魚伝来についての新知見です!三京水産の江原氏が輸入したものだとばかり思い込んでいました。
 それを都水試に送ったとは。現存している水元の魚はかなり原始的なタイプとは思いましたが、まさにその直系だったのですね。

 著名な方の本には、なかなか出てこないマイナーな記事ですが、当事者及び近辺の方が知っている内容って確かにありますよね。
 しかもそれが、マイナーな雑誌から知り得ることは古書の有難いところです。
 昨年か一昨年のALかFMで水元の写真見ましたが、水の美しさが脳裏に残っています。

 水元公園は都水試移転に伴い金魚池も廃止の危機にありましたが、なんとか、この部分だけ葛飾区に移管され展示場として残りました。
 展示施設のため水はなるべく透明にしてあります。

 そんな経緯があったんですか。
 記事には一般の人が、見ている写真が出ていたのは記憶にあります。

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