「フィッシュライフ」 昭和44年2月 通巻20号 その4
グッピー色相学入門 西村真一 古美術研究家
1,赤
- 現在のグッピーは過不足が激しく人それぞれで、美の基準すらまちまち、今は群雄割拠の戦国時代の感がある。
しかし岡目八目で申すならば、和泉先生の示されたグッピーの美の基準に諸手を挙げたいと思っている。
このグッピーの理想形は、世界的な美の分割法とされている黄金分割法で分割できるから点から云っても意義を差し挟む余地などない。
赤色と云っても黒い赤から黄色に近い赤まであり、ショウ的に見れば真赤が良く、座右に置くには少し渋い色が嫌味が無くて長続きする。
現在はショウ的な要素を求める余り派手な色彩のグッピーが多いが、もっと渋味のある純日本的なグッピー達が、そろそろ出て来てもいいのではないかと考える。
燻銀のようなグッピーの誕生に期待したい。
2,黄色
- 色彩の錯覚の一つに「色の膨張率」がある。同じ大きさの白、黒二つのプレートを一定の距離はなして見るとき、白のプレートがはるかに大きく見える。
これが「色の膨張率」と云うもので、白が最大、黒が最小である。
この事実がある以上、入賞せんと欲すれば薄色系のテールのグッピーを出品することになる。
テール重視主義の風潮下のコンクールでは、青、黒等の暗いテールよりも薄色系テールの方がより大きく見えて入賞率が高くなる。
美を求めるバラの世界では枝葉まで加えて評価しているのに、同じ美を求めるグッピー界では腰(枝、シュテム)や背びれ(葉)を抜いて尾びれ(花)の美で評価している。
背びれを長くすることは非常に難しいとされているが、バラでも枝や葉を立派に育てることは花を大きく咲かすことよりはるかに大変なことなのである。
黄色いバラの美しさはどなたにも判るもの。しかし稲の花の美しさの判る人はほとんどいない。稲の花の美しさが判る人こそ真の審美眼を持った人なのではないだろうか。
3,緑色
- デルタテール・オブ・フォンテーヌ、スカーレット・オブ・ハワイ等一連の美しいグッピーが日本の一詩人によって作出・固定され、それが今日のグッピーのベースになっていることを知ったのは、そんなに古いことではない。
グッピーの尾鰭の緑色についてだが、これには二つのグループがある。
一つは日光の直射でみると緑色に見えるが、蛍光灯や室内では、ただ青色のウスボケしたような色にしか見えないグッピーである。
これは、このグループの色彩の元の色は黒と青色であり、混ぜて作り出されたものだからであり、青黒の混色では薄黒い緑色しか発色し得ないからなのだ。
グッピーで云えば、青い尾鰭と黒い尾鰭との交配から出来たグッピーである。
もう一つのグループとは、黄色と青色の混色による明るい緑のグループである。
しかし残念ながら、現在ではまた不可能である。まず、美しさ黄色の尾鰭を持ったグッピーが必要だからだ。アルビノの黄色では駄目である。
私達グッピー族は贈られた大いなる遺産をより価値のあるものに仕上げる義務があることを忘れてはならない。
和泉克雄の「詩集」には、グッピーのことは出てこない。しかし、よく吟味してみると、グッピー飼育に関することが詩の形を通して表現されていることに気付く。
「短い旅」の中の「遺産」と云う詩は、多分、詩人のグッピー論の凝結したものだと信じる。
グッピー審査実例研究 連載14 和泉克雄
- キングコブラの大きなカラー写真が載っており、和泉氏が寸評、採点している。
寸評の中で辛口部を書いておきます。
軽薄派は「キングコブラのオスは、百円のメスと交配させても、その子にキングコブラが出るからおもしろくない」などと言うが、これはほとんどのキングコブラ系のオスが優性だからそうなるので、グッピーの品種改良は<優勢>を利用することから始まる。おもしろくないのは各自の主観で勝ってであるが、まだまだ未来性のある<おもしろいタイプ>である。
加えて尾びれだけが大きく柳腰した、でれでれしたタイプより、野性的な魅力をもつグッピーとも言える。概して初心者及び営業的にしか見ることの出来ない人は、いわゆるファンシータイプの尾びれにのみ眼を奪われ、<通人>の域に達したものは、<失われた野生美>をこれらのタイプに追跡する。
グッピー系統繁殖写真集 連載7 森田敏夫
- 岡明一氏が作出し3年を経たブルーファンテールに寸評をしている。
以上でこの雑誌の紹介は終わりです。
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