« 「日本の金魚」 松井佳一 アルス 昭和18年 | トップページ | 「日本の金魚」 松井佳一 その3 »

2008年7月14日 (月)

「日本の金魚」 松井佳一 その2

口絵 ※1ページに1項目です。

  • ランチュウとジキンのカラーの絵(大和絵かな)。ランチュウには魚泉庵の名魚山櫻、ジキンには六鱗園の名魚鶴鱗と書いてあります。

 以下は白黒です。
  和金の尾型の写真
  ランチュウの背鰭のあるものから無いものまでの段階標本写真
  ランチュウとワキンの骨格標本
  サンシキデメキン(サンショク)出目性の発生過程標本

  ジキンの側面、背面、後方写真
  トサキン
  シュブンキン、ツガルニシキ標本
  金魚の雌雄差の腹部写真、追星
  ワキンの精巣、卵巣組織
  金魚の各品種の系統図

  ワキンの尾鰭の型、リュウキンの尾鰭の奇形
  鯉と金魚の雑種
  浮世絵 14~45ページまで
  金魚の文献
   金魚養玩草は集数版の資料が載っている。
   金魚秘訣録
  番付表
  昭和10年前後の品評会の写真多数

まえがき

  • 「金魚はとてもおいしいもので、立派な食用魚としても役立つものが出来た。」と当時の時代背景がこう書かせたのだろうと思われる。

本文
 1,金魚の種類
  (1)ワキン(和金、和錦、ヤマト)

  • ワキンと言う名は江戸中期以降金魚の種類が多くなってから付けられたものであって、私が最近までに見出した文献に記されたものでは、文化7年(1810年)に書かれた蔵六庵秘傳書に和金魚とあるのが最初である。

  (2)リュウキン(琉金、琉錦、オナガ、ナガサキ)

  • 本種は安永、天明年代(1772-1788年)に琉球から薩摩へ持ち来られた。
    リュウキンの名が文献に記されているのは、文政8年(1825年)刊の今様職人盡歌合いである。

  (3)ランチュウ(蘭鋳、金鋳、マルツコ、チョウセン ※チュウは魚偏)

  • 獅子頭が発達するようになったのは明治初期からであろう。古いものには書かれたのは見あたらない。

    ランチュウという名は寛延元年(1748年)刊金魚養玩草には卵蟲という文字を用い、又翌年刊行の金魚秘訣録には朝鮮金魚の名を記している。蟲は現今より広い意味で小動物を示している

  (4)オオサカランチュウ(大阪蘭鋳)

  • 文久2年(1862年)の番付がある。古くランチュウと呼ぶものはこの形のものであったろう。

  (5)ナンキン

  • 島根県下で飼育せられていて出雲蘭鋳とも言う。ナンキンの名は南蛮金魚の意味ではないかと思う。

  (6)デメキン(出目金、出目錦、支那金、支那金魚)

  • 明治28年頃に支那から輸入したものが繁殖して普及した。

  (7)チョウテンガン(頂天眼、デメランチュウ)

  • 清朝時代には宮廷で特に愛育せられていたものであるといい、紫禁城の庭園にはこれを飼育する大きな陶瓶が多数設けられていたという。

  (8)ジキン(地金、地錦、ジウオ、ヂキンギョ、シャチ、名古屋金魚
                            クジャク、ロクリン)

  • 明治中期頃までも、現在この金魚の特色とする尾の型は、品種的にも固定しておらず又鑑賞的にも一定していなかったらしい。

    ジオウ(地王)は名古屋の地金研究家増田冬輔の研究によれば味田孫兵衛(文化7年生)が名古屋┼王堂の傍らでこの金魚の名魚出したのでジュウオウから来ているという。

    ロクリンは昭和16年頃から名古屋で呼び始められた。

  (9)トサキン(土佐金、土佐錦魚)

  • 弘化2年(1845年)から嘉永4年(1851年)までの稿本では尾が反転していない。

« 「日本の金魚」 松井佳一 アルス 昭和18年 | トップページ | 「日本の金魚」 松井佳一 その3 »

コメント

 私もこの本探し出して持っています。
 昭和18年ですからねえ。食用のことに言及しているのは、当局の目を欺くというか、一定の配慮をした結果だろうと推測していました。

こん**は。
私はこの本、ネット普及以前に入手出来たので相場の1/5位でした。

時代背景というのは恐ろしいもので、なかなか信念を通しにくいのでしょう。

それでも、書として残してくれたお陰で、私達はこうして貴重な文献が得られるのですから助かりますね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 「日本の金魚」 松井佳一 アルス 昭和18年 | トップページ | 「日本の金魚」 松井佳一 その3 »

ブログ村

  • にほんブログ村 観賞魚ブログ 熱帯魚へ
無料ブログはココログ